2018年02月02日
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2018年02月02日
センチメンタル・シティ・ロマンスとの出会いは73年頃。当時は名古屋の大学に通っていたのだが、学校をサボって栄のテレビ塔あたりを歩いていると、そこかしこに「センチメンタル・パーティ」と書かれたチラシが貼ってあった。そのチラシのロゴと、センチメンタル・シティ・ロマンスというグループ名に心が惹かれ、中区役所ホールで開催されていたコンサートにも足を運ぶようになったものだ。
そんなこともあり、75年に発売されたデビュー・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』は、格別な想いで手にした。突きぬけるような爽快感、どこまでも続くハイウェイを疾走していくようなサウンドであった。履き慣れたワークブーツのような地に足のついた音楽であり、やっと自分たちのロックが出てきたと感激したものだ。
当時は、Made in USA Catalog(別冊週刊読売増刊)が出たことをきっかけに、アウトドア系のファッションが持てはやされ始めた時期であり、ケルティ社のデイパック、シェラデザインズのマウンテンパーカー、レッド・ウィングのワークブーツなどが憧れのアイテムでもあった。
このような新しいライフ・スタイルとセンチメンタル・シティ・ロマンスの音楽が見事にマッチした。それは、イーグルスやジャクソン・ブラウンに代表されるような西海岸派のロックにも通じている。
センチは日本のウエストコースト・サウンドだ、といった言い方をよくされるが、それだけではなかった。デビュー・アルバムに収められている「あの娘の窓灯り」のナイーヴな感性は、日本的な情緒感に溢れていたし、「おかめとひょっとこ」が映し出した光景は昭和初期のようなハイカラな感覚が感じられる。この曲はニッティ・グリッティ・ダート・バンドのようなサウンドに近い。
日本的なものを包括しつつ等身大のロックを作りあげていったのが、センチメンタル・シティ・ロマンスであったと思う。これは即ち、はっぴいえんどから連なる日本語のロックの本流でもあるのだ。
このセンチメンタル・シティ・ロマンスの中心人物が、ヴォーカルでリード・ギターの中野督夫(通称とっくん)と、同じくヴォーカル、ギター、ペダル・スティール・ギターの告井延隆(通称つーさー)だ。告井はすでにセンチを脱退してしまったので、残るフロント・マンが中野督夫となる。
少し鼻にかかったヴォーカルと、ピッキング・ハーモニクスなどを活用したアメリカン・スタイルのギターが彼の特徴でもあるのだが、さらに特徴的なのがステージの立ち姿。片方の足に重心をかけ、斜に構えるようにマイクの前に立つ独特のポーズは、遠目でもすぐに中野督夫だと判る。かつてレコードを漁っている姿を目撃したことがあるが、やはりこの半身スタイルであった。
中野督夫は現在3枚のアルバムを発表し、全国各地でソロ・ライヴを展開している。また3月には、センチメンタル・シティ・ロマンスの45周年記念のイヴェントも開催される。2月2日は、この中野督夫の誕生日であるのだ。
◆センチメンタル・シティ・ロマンス 45周年も行こみゃ~か!
1973年の結成以来、1度も解散をしていない日本最古で現役一筋のロックバンド、センチの結成45周年記念ライブ! 3年ぶりの神戸チキンジョージです! 今回は2015年に脱退したオリジナルメンバー、告井延隆がゲストで参加します。
≪著者略歴≫
小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。
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