2015年08月26日
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2015年08月26日
歴史に“もしも”はないが、もしも高円寺のロック喫茶「ムーヴィン」で、伊藤銀次と駒沢裕城が山下達郎のアマチュア時代の自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聞いていなければ、大滝詠一と山下達郎の出会いはもう少し先のことになり、シュガー・ベイブが大瀧のナイアガラ・レーベルから出ることもなかっただろう。
「大人のMusicWalker プレ創刊」でも度々、紹介させていただいている横浜・赤レンガ倉庫で“70年代ニッポンの音楽とポップカルチャー”を時間旅行的に体験するイベント「70’sバイブレーション」。先日、8月21日に同所で開催された、シュガー・ベイブとも縁の深いセンチメンタル・シティ・ロマンスのデビュー40周年を記念する「Pied Piper House Presents センチメンタル・シティ・ロマンス アルバムデビュー 40th Anniversaryスペシャルイベント」の中で、彼らが同作を聞くことになる経緯が語られた。
実は伊藤らが来た時、同店の常連客であった女性がビーチボーイズのレコードの合間に『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』をかけたということだったようだ。
シュガー・ベイブは残念ながら1975年にナイアガラでデビュー・アルバム『SONGS』をリリース後、解散してしまうが、翌76年には大滝、銀次、山下で、『ナイアガラ・トライアングル Vol.1』がリリースされている。同作は“Vol.1”とクレジットされたが、大滝と杉真理、佐野元春による『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』がリリースされたのは、“Vol.1”から6年後の1982年。当時、佐野のバンド、ザ・ハートランドには銀次が在籍し、アルバムのプロデュースも担当していた。高円寺ムーヴィンからの縁がここまで繋がる。ちなみに同作に収録されている「A面で恋をして」は、8月21日、22日に東京国際フォーラムで開催された“松本隆 作詞活動45周年記念オフィシャル・プロジェクト「風街レジェンド2015」”で、佐野、杉、銀次という“ねじれトライアングル”でも歌われた。
『ナイアガラ・トライアングル Vol.2 』には、佐野元春の「恋人たちの週末」という楽曲も収録されている。求人広告で仕事をみつけにいこうと、将来への期待と不安を抱えつつ、週末は恋人と “渚”で、時を過ごす。そんな佐野の歌の登場人物は30数年後、リストラか、派遣切りにあったのか、仕事を探さなければならなくなる。将来の不安に直面しつつも週末には“海辺のコテージ”へ繰り出す。そんな物語が描かれるのは、佐野の最新作『ブラッド・ムーン』に収録されている「バイ・ザ・シー」。サンタナやマロを彷彿させるラテンロック・テイストの官能的なサウンドに乗って歌われる。
ザ・ハートランド、ザ・ホーボーキングバンドに次ぐ、新しいバンド、ザ・コヨーテバンドを結成して10年近く、『コヨーテ』(2007年)、『ゾーイ』(2013年)、『ブラッド・ムーン』(2015年)と、3枚のアルバムを制作、そして、その間にはライブハウスからホール、野外フェスティバルまで、全国で熱狂のライブを繰り広げてきた。バンドとして濃密な時間を過ごしてきている。新作は、そんな経験が成果として結実しているのだ。
現在、佐野はザ・コヨーテバンドと、同作を携え、8月から10月まで全国のライブハウスを巡るクラブサーキット「2015サマー・ツアー」の真最中。そんな彼らが9月4日から6日(日)まで、東京池上本門寺で開催される野外フェスティバル「SlowLIVE’15」へ出演する。今年で12回目を迎える夏の風物詩「Slow Music Slow LIVE」、名称を「Slow LIVE」と改めたが、“大人のミニフェス”として、大人の音楽を大人に向けて発信していくという意欲的なものである。佐野とザ・コヨーテバンドは同フェスの2日目、9月5日(土)に登場する。共演は先日、武道館の還暦ライブと日比谷野音のフリーコンサートを成功させたChar。彼以外にもLOVE PSYCHEDELICOや安藤裕子など、魅力的な顔合わせ。別日には大橋トリオや野宮真貴、KIRINJI、ORIJINALLOVEも出演する。歴史にもしもはないように、もしも見ていたらということにならないようにしていただきたい。
Slow LIVE '15> http://lultimo.jp/smsl/
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