2015年11月13日
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2015年11月13日
本日、11月13日は伊勢正三の誕生日。今年で64歳となる。
伊勢正三と聞いて多くの音楽好きが思い出すのは、「22才の別れ」や「なごり雪」だろう。共にかぐや姫時代のアルバム『三階建の詩』(74年)に収録されたが、当時はシングル・カットなし。「22才の別れ」は、彼がかぐや姫解散後に結成したデュオ:風のデビュー・シングルとして大ヒット(相方は元・猫の大久保一久)し、「なごり雪」はイルカのカヴァー・ヒットでよく知られる。
だがその後の伊勢正三は、このパブリック・イメージと戦い続けたといっても過言ではない。自分のキャリアを決定づけた重要曲たちであるが、こうしたフォークの王道スタイルは、彼にとって自分の音楽性のホンの一部でしかない。かぐや姫には南こうせつという絶対的存在がいたため、己を表に出すことで歯車が噛み合ったが、風以降は過去の自分を乗り越えることが命題となったワケだ。
そこで見出したのが、常に現在進行形でいること。その姿を最初に見せたのが、76年11月に発表された風の3rdアルバム『WINDLESS BLUE』だ。彼を取り巻く空気感は都会的洗練。抱える楽器はフォーク・ギターからエレキへ、奏でるのはマイナーからメジャー・セヴンやナインスなどのテンション・コードへ変化した。リズムも16ビート系のハネる曲が徐々に増えていく。
ちょうどこの76年にヒットしたのが、ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』。スティーリー・ダン『幻想の摩天楼』やドゥービー・ブラザーズが都会派に豹変した『ドゥービー・ストリート』、西海岸ブームで注目されたネッド・ドヒニー『ハード・キャンディ』も、同年作である。そうした都市型のサウンド、後のAORが生まれていく大きなウネリに、正やんも大いに感化されたのだ。そして風の後続2作『海風』と『MOONY NIGHT』は、時代を先取りしたL.A.録音。とりわけ4作目のタイトル曲「海風」は、昨今の和モノDJ諸兄が泣いて喜ぶようなアコースティック・グルーヴで、センチメンタル・シティ・ロマンスを迎えて制作されたセルフ・カヴァー・アルバム(2010年)でもオ−プニングを飾った。77年の発表当時はファンを二分するほど大きく賛否が割れ、結局5作目がデュオ最終作となったが、彼のソロ活動を追っていくと、音楽的スタイルはその後も大きく変わっていない。そう、AORやジャズのエッセンスをちりばめた《都会派メロウ・フォーク》とでも言おうか…。
正やんのソロ活動は、80年代の幕開けと同時にスタートしているが、この時期は様々な文化が一気に流入した時期でもあり、音楽を取り巻くテクノロジーやビジネスなどにも変化が起きた。彼はそれらにも積極的に取り組み、ラテンやトロピカル・テイストを取り入れたり、英語曲に挑戦している。ドラム・マシーンやシンセ・ベースを導入し、スティーヴィー・ワンダーを髣髴させる楽曲も創った。こうした楽曲群は、かぐや姫時代や風前期とは違う、伊勢正三のアナザー・サイドを示している。だが彼の奮闘空しく、コテコテのパブリック・イメージはなかなか覆らない。かくして85年から約8年間、彼は表舞台から姿を消した。
カムバック後はあまり気張らず、マイペースで歌い続けている正やん。だが一方で、クラブ・シーンから発信され始めたシティ・ポップス再評価の流れを受けて、全盛期の彼を知らない世代からジワジワ注目が集まる。若い世代には懐メロ的な「22才の別れ」や「なごり雪」に用はなく、「海風」や「月が射す夜」、あるいは「スモークドガラス越しの景色」や「Orange Groove」を歌う正やんこそ、リアルな存在なのだ。もちろん、どちらを取るかはお好み次第。ただ、彼に対する既成概念だけは、もう取っ払うべきだろう。いま心に響くのはどちらなのか、今度はあなたの感性が問われている。
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