2017年02月09日
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2017年02月09日
日本が元気だった高度経済成長時代、テレビを中心に大活躍を遂げたクレージー・キャッツのリーダーを務めたのが、ハナ肇である。植木等や谷啓らの人気者を擁したバンドを持ち前の親分肌でまとめ、自身も役者やタレントとして活躍した。山田洋次監督の下、ブルーリボン主演男優賞と監督賞を受賞した『なつかしい風来坊』をはじめ、映画主演作も多数。テレビではバラエティ番組『巨泉・前武 ゲバゲバ90分!』でヒッピー風の男に扮して放った台詞「アッと驚くタメゴロー」が流行語となり、一世一代のフレーズとなる。1993年に63歳で没したのはいささか早すぎる別れであった。1930年に東京で生まれた氏の誕生日は2月9日。存命であれば今年で87歳になる。
東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)で水道屋の息子として生まれたハナ肇(本名・野々山定夫)は1946年、16歳の時に刀根勝美楽団に参加してドラムを担当する。その後、南里文雄のホット・ペッパーズ、萩原哲晶のデューク・オクテット、浜口庫之助のアフロクバーノの姉妹バンドなどを経て、1955年に<ハナ肇とキューバン・キャッツ>を結成。当初は女性ヴォーカルも擁するラテン・バンドであったが、やがてフランキー堺とシティ・スリッカーズの様なコミカルな方向性を目指したハナは、バンド名を<ハナ肇とクレージー・キャッツ>と改名し、実際にシティ・スリッカーズから呼び寄せた植木等や谷啓が参加してバンドの骨子が固まった。現在唯一の存命者・犬塚弘はバンド結成時からのメンバーになる。
渡辺プロダクションの創設時から所属した彼らはやがてテレビの黄金時代を迎えて大人気グループとなり、ザ・ピーナッツや3人娘と共にプロダクションの屋台骨を支えてゆくわけで、とりわけクレージーを束ねていたハナ肇に対して、創業者の渡邊晋・美佐夫妻は全幅の信頼を寄せたと言われる。晩年になって、ハナが渡辺プロの社長に収まるなどという噂が流れたのもそんな経緯があってのことだったろう。もっと長生きしていたらそんなシーンも見られたかもしれない。時にメンバーの反感を買うことはあっても、それはグループリーダーの宿命であり、猪突猛進型ながらも努力を重ね、大きな波風を立てることなくグループを維持した功績は大いに讃えられるべきもので、その性格は彼らに近しい存在の作家・小林信彦がハナの死後に語った「迷惑だが懐かしい人柄であった」に集約されていると思う。
そもそもはジャズ・コンボであったクレージー・キャッツのリーダーとして音楽に従事した人生であったが、人気の頂点にあった頃はやはり役者やタレント業が主軸であり、ドラマーとしては1985年に結成された<ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー>で改めて修練に意を注いで腕を上げた。では、歌い手としてはどうだったろうか。ステージはもちろんのこと、東宝で展開されたクレージーの主演作でも歌うシーンは多いし、松竹での傑作『なつかしい風来坊』では有島一郎と共に灰田勝彦の「燦めく星座」を歌うシーンも見られる。無骨ながらもよく響く声で、クレージーの楽曲でも独特の存在感を放っている。ところが、ソロ作品も多い植木や谷に対して、ハナがソロで歌っているレコードは1972年の「男の憲法/かあちゃん」たった一枚しかない。クレージー人気もだいぶ落ち着いていた頃。これは少々意外な気がするが、あくまでもメンバーを立てるハナの男気の顕れと思わせて感慨深い。AB面とも笑いは一切なく、A面では義理と人情、B面では親子愛が真摯に歌われている。
ほかに、アニメーション映画『シャーロットのおくりもの』の日本語版挿入歌としてシングル発売された「ゲップゲップの歌」では、付き人を務めたなべおさみとのコンビによる歌唱が聴ける。植木等と小松政夫の関係然り、美しき師弟愛がこういった形で遺されたことは素晴らしい。ちなみに自身のギャグ「アッと驚く為五郎」がレコード化された際には植木が歌い、ハナは決めの台詞のみという歌であったが、そのインパクトは絶大だった。同時期のシングル「全国縦断追っかけのブルース」でも、ハナは最後の最後に意外な形で登場して場面をさらう。また、歌ではないが、谷啓の主演映画『奇々怪々 俺は誰だ?!』で演じる患者の野々山定夫役は抱腹絶倒。かくし芸の銅像役しか知らない向きには、これらのハナ肇をぜひ聴いて、見ていただきたいと思う。昭和の芸能界で最高のリーダーシップを発揮したハナ肇は実に愛すべき存在であった。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中 。
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