2019年06月27日
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2019年06月27日
1964年6月27日付けの全米シングル・チャートで、ピーター&ゴードンの「愛なき世界(原題:A World Without Love)」が見事ナンバーワンに輝いた。この年、ビートルズのアメリカ上陸をきっかけにして、イギリスのビート・バンド勢によるアメリカ侵攻、いわゆる“ブリティッシュ・インヴェイジョン”が起き、全米チャートには数多くのイギリス勢が名を連ねたが、6月27日付けのシングル・チャートでも、その傾向は顕著に表われていた。上位20曲のうち実に7曲がイギリス人グループで、ピーター&ゴードンのほか、ジェリー&ザ・ペースメイカーズ、ビリー・J・クレイマーwithザ・ダコタス 、ビートルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、バチェラーズの楽曲がランクイン。ちなみに、この翌週にピーター&ゴードンから1位の座を奪ったのはビーチ・ボーイズの「アイ・ゲット・アラウンド」で、この当時、ブリティッシュ・インヴェイジョンに対抗できるアメリカ人アーティストは、フォー・シーズンズ、モータウン勢、そしてビーチ・ボーイズだけだと言われていたほど、イギリス勢の猛攻は凄まじかった。
「愛なき世界」は、ピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーによるデュオ、ピーター&ゴードンのデビュー・シングルとして発表され、いきなりイギリスとアメリカの両チャートでナンバーワンを獲得したが、この曲は、いわば発売前から大ヒットが約束されていた作品だった。というのも、この曲の作者はポール・マッカートニーで、当時、ピーター・アッシャーの妹で女優のジェーン・アッシャーがポールのガールフレンドだったため、この「愛なき世界」のあとも、第2弾シングル「二人だけのパラダイス(原題:Nobody I Know)」、第3弾シングル「逢いたくないさ(原題:I Don't Want To See You Again)」と、ピーター&ゴードンはデビューから3曲連続でポール・マッカートニーの書き下ろし楽曲をリリースするという幸運に恵まれたのだ(レコード上のクレジットはレノン=マッカートニー)。
ちなみに、ポールとジェーン・アッシャーの交際期間は、63年からおよそ5年続き、その間に書かれた「オール・マイ・ラヴィング」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「恋を抱きしめよう」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」といったポールのラヴ・ソングには、ジェーンからの影響が色濃く反映されていると言われている。
その後もピーター&ゴードンは、デル・シャノン作の「アイ・ゴー・トゥ・ピーセス」や、バディ・ホリー作の「二人の恋は(原題:True Love Ways)」などを爽やかなデュエットで歌って人気を博す。ほかのビート・バンド勢にはないポップな手触りも魅力だった彼らは、ビートルズのハーモニー・スタイルにも影響を与えたといわれるアメリカのポップ・デュオ、エヴァリー・ブラザーズのイギリス版といった感じだったが、人気が下降してきた68年にあっさり解散してしまった。
なお、我が国では「二人の恋は」が全米でヒットしていた65年に来日公演を行ない、その影響からか、「愛なき世界」と並んで「二人の恋は」が、60年代の洋楽ファンにとって思い出深いナンバーとなっている。
その後、ピーター・アッシャーはアップル・レコードのA&Rマンを経て、そこで知りあったジェイムス・テイラーのアメリカ帰国に同行したのを機に渡米。西海岸を拠点にプロデューサー業をスタートさせ、ジェイムス・テイラーのほか、リンダ・ロンシュタットの一連の大ヒット・アルバムを手がけたことで名を馳せた。
ピーター&ゴードン「愛なき世界」「二人の恋は」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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