2019年08月08日
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2019年08月08日
本日8月8日は、アメリカを代表するポップ・カントリー・シンガー、グレン・キャンベルの命日である。いまから2年前にあたる2017年の同日、ナッシュヴィルにあるアルツハイマーの治療施設で天国へと召された。享年81だった。
今年6月には、1961年のソロ・デビューから2017年の遺作『Adiós』に至る56年間に残した音源のなかから厳選した78曲を収めたCD4枚組のボックス・セット『The Legacy 1961-2017』が発売され、その偉大な足跡を改めて辿ってみる絶好の機会が訪れたといえるが、本稿でも、その豊富なキャリアの一端を紹介してみたい。
1936年4月22日、アーカンソーに生まれたグレン・キャンベル(本名Glen Travis Campbell)は、子どものころからギターを手にして、やがて父親のカントリー&ウェスタン・バンドに加入。ギターの腕前に自信があった彼は、60年になるとロサンジェルスへと進出して、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事をスタートさせる。フィル・スペクターのセッションをはじめ、ジャン&ディーン、ナンシー・シナトラ、モンキーズ、エルヴィス・プレスリー、フランク・シナトラほか、名だたる有名アーティストのレコードで演奏を務めたキャンベルは、ハル・ブレイン(ドラムス)やキャロル・ケイ(ベース)らとともに“レッキング・クルー”と呼ばれる優秀なスタジオ・ミュージシャン集団の一員として活躍した。
また、この時期によくセッション参加していたビーチ・ボーイズからの要請で、64年12月から65年3月にかけて、ブライアン・ウィルソンの代役ベーシストとしてツアーにも参加。このときのお礼にとブライアンが書き下ろしたのが「ゲス・アイム・ダム」という作品で、キャンベル自ら歌ったシングルとして65年に発表された。この曲は、我が国では山下達郎がカヴァー。あのクリスマス・スタンダード「クリスマス・イブ」をフィーチャーしたアルバム『MELODIES』(83年)の1曲となったことで、アメリカでまったくヒットしなかった地味な作品が、多くの日本人の耳に入ることとなった。
さて、スタジオ・ミュージシャンとして一流の仲間入りを果たしたキャンベルだったが、一方で、歌手として大成したいという夢も抱いていた。スタジオ仕事の合間に、彼は何枚もソロ・シングルをリリース。61年には「ターン・アラウンド、ルック・アット・ミー」がはじめて全米ホット100入り(62位)したが、なかなか大ヒットには恵まれずにいた。そんななか、大きな転機となった作品が、ジョン・ハートフォードのペンになる「ジェントル・オン・マイ・マインド」だ。キャンベルはこの曲を67年に発売すると、カントリー・チャートで30位まで上昇するヒットを記録。さらに、翌68年のグラミーでベスト・カントリー&ウェスタン賞に輝き、彼の歌手としてのキャリアは大きく前進した。そんなキャンベルのポジションをさらに押し上げたのが、次にリリースされた「恋はフェニックス(By The Time I Get To Phoenix)」。当時、新進気鋭のソングライターだったジミー・ウェッブが書いたこの曲は、67年にカントリー・チャート2位、ポップ・チャート26位の成功作となり、グラミーの最優秀男性歌手賞ほかを受賞。“ポップ・ミュージック史上、最も偉大なトーチ・ソング(失恋の歌)”とも評されたこの名曲を見事に歌い上げたことが、歌手としてのキャンベルのイメージを決定づけたといえる。
キャンベルはその後もジミー・ウェッブ作品を取り上げて、いずれも大ヒット。68年に全米3位をマークした「ウィチタ・ラインマン」、69年に全米4位をマークした「ガルベストン」は、「恋はフェニックス」とともに“ご当地ソング三部作”として、キャンベルの数あるヒット・ソングのなかでも、特に人気の高い3曲となっている。
その後も、カントリー・チャートやポップ・チャートに80曲がランクインし、息の長い歌手活動を続けたグレン・キャンベル。その歌声は、アメリカの広大な大地と、そこに暮らす人々が日常生活のなかで抱く郷愁を、誰よりも体現していたといえるだろう。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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