2019年07月29日
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2019年07月29日
1966年7月29日金曜日の朝、ボブ・ディランはトライアンフ・バイクに乗ってニューヨーク近郊ベアズヴィルにあるマネジャーの家を出た。バイクを修理に出すためだった。ボブのバイクの後を妻のサラが車でついて行く。しばらくすると、車が戻ってきて中からボブが苦しそうな様子で降りてきた。そう、ボブはバイクで転倒し、怪我を負ったのだ。
50年前、まだコンピューター社会ではなかったこともあり、様々な情報や噂が飛び交った。首を骨折して重体とか死亡説まで流れた。そんな時代だったのだ。後年になって判明したが、実際には脊椎にヒビが入る程度の事故だったが、ボブは大衆の前から完全に姿を隠し、数年間の謎めいた生活を送るようになる。まさにこの事故をきっかけにディラン神話が生まれた。
62年にレコードデビューしたボブは、わずか4年の間にプロテストフォークのプリンスから世代の代弁者、フォークロックの騎手に成長した。アルバムを7枚発表し、65年秋にスタートしたアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパを回るツアー。さらにツアーの合間を縫ってナッシュヴィルでレコーディングと、ほとんど休みも取らずに猛烈なスピードで駆け抜けていた。66年6月のロンドン公演の後、8月に再開する全米ツアーまで、1ヶ月余りの休暇を得たボブはウッドストックに戻ったものの、ドキュメント映画『イート・ザ・ドキュメント』の編集、出版社と契約していた小説『タランチュラ』の執筆など、ツアーこそなかったが様々な作業に追われる日々を過ごしていた。「ぼくは極限状況だった。あのままの状態で暮らしていたらおそらく死んでいただろう」と、ボブは語っている。そんな時に起きたバイク事故だった。予定されていたスケジュールは全てキャンセルとなり、ボブは心身の回復に専念する、いわば隠遁生活のような暮らしを始めた。65年末にサラと結婚し、5人の父親になっていたボブはようやく家庭人として普通の生活を送れるようになった。
67年2月、ボブはザ・バンドのメンバーたちをウッドストックに集め、ボブの自宅や近くに借りた一軒家ビッグピンクの地下室で毎日ジャムセッションを始めた。ボブはオリジナル曲を何曲かつくりもしたが、セッションで演奏する曲のほとんどは古いブルースやロックンロールだった。秋まで続いたセッションはすべて録音され、1975年に2枚組アルバム『地下室』、さらに2014年に『ブートレッグ・シリーズ第11集:ザ・ベースメント・テープス・コンプリート』としてリリースされた。本格的にツアーに復帰するのは8年後の74年だが、67年末に『ジョン・ウェズリー・ハーディング』をリリース、68年にウディ・ガスリー・メモリアル・コンサート、71年にバングラデシュ・コンサートに出演してファンを驚かせた。なお、67年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のアウトテイクと68年のジョニー・キャッシュとのレコーディングが今秋『ブートレッグ・シリーズ第15集』としてリリースされる予定だ。
≪著者略歴≫
菅野ヘッケル(すがの・へっける):1947年生まれ。70年にICU(国際基督教大学)を卒業し、CBS・ソニーに入社。すぐに洋楽部に配属され、10年間ディラン担当ディレクターをつとめる。78年にはライヴアルバム『武道館』を制作。その後CBS・ソニー出版を経て86年に独立し、セヴンデイズを設立。74年にシカゴで初めてディランのコンサートを観て以来、現在までに270回以上観ている熱狂的ファン。現在もディラン関係の翻訳やライナーノーツの執筆など、ディランと関わる活動を続けている。主な訳書は『ボブ・ディラン自伝』。東京在住。
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