2017年03月24日
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2017年03月24日
その名前が一般にはほとんど知られていないにもかかわらず、1960年代のビルボードのホット100チャートには、彼女がベースを弾いた楽曲が無数に存在していた。その人の名はキャロル・ケイ。3月24日は彼女の誕生日である。1935年生まれで、今年で82歳を迎える。
サングラスをかけた知的な風貌が印象的なキャロル・ケイは、ポップス・ファンの間では“レッキング・クルー”の一員だったことで有名だ。レッキング・クルーとは、ロサンジェルスの優秀なスタジオ・ミュージシャン集団を指す呼称で、フィル・スペクターがプロデュースしたセッションに集められた面々が、そう呼ばれはじめた最初とされている。スペクターの代名詞となった“ウォール・オブ・サウンド”の中心で演奏した彼らの評判は、たちまちハリウッドの業界内を駆けめぐり、各スタジオからオファーが殺到。朝から晩までスタジオをハシゴして、スタッフの指示どおりに演奏していた彼らには、それが誰のレコードとしてリリースされるのか、分からないことも多かったという。
レッキング・クルーは特定のメンバーというわけではなく、様々なミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加。のべ20名とも30名ともいわれているが、なかでも象徴的な存在といえるのが、ハル・ブレイン、アール・パーマー(ドラムス)、アル・ケーシー、トミー・テデスコ、ビリー・ストレンジ、グレン・キャンベル(ギター)、スティーヴ・ダグラス、プラス・ジョンソン(サックス)、レオン・ラッセル(キーボード)、そしてキャロル・ケイ(ベース)といった人たちだった。
キャロル・ケイは、1949年頃からクラブで演奏活動を開始。最初はジャズ・ギタリストだったが、63年に代役を務めたことがきっかけで、ベーシストとしての活動が中心となる。その腕前は、ブライアン・ウィルソンやクインシー・ジョーンズをして“世界でナンバーワンのベーシスト”と言わしめたほどで、ヒット・ソングだけでなく、テレビや映画音楽など、膨大な数のレコーディングをこなした彼女の全盛期は、本人いわく“大統領より稼いでいた”らしい。
そんな彼女を含めたレッキング・クルーの面々の貴重な証言の数々で構成されたドキュメンタリー映画が、2016年に劇場公開された『レッキング・クルー』だ。このなかで印象的だったのは、コードだけが書かれた譜面を渡されることも多かった彼らが、曲のムードを瞬時に理解して、独自のフレーズなどを創造していたという証言。ロック・ミュージックという自由なスタイルの音楽が流行した60年代にあって、そうした彼らの創意工夫が魅力的なサウンドを生みだし、譜面どおりに演奏していたニューヨークのミュージシャンたちから仕事を奪ったのである。レッキング・クルーの価値とは、そうした演奏の自由さにこそあり、それがロックのダイナミズムの源となったのだ。
この映画でキャロルはこんなことも言っている。“演奏を組み立てるセンスは、長年ジャズをやり、スタイルを数多く経験したことで身についた” レッキング・クルーにジャズ出身者が多いのは、彼らのサウンドの魅力を解き明かす重要なヒントかもしれない。
レッキング・クルーで腕を磨き、やがてスターとなった人もいた。グレン・キャンベルだ。優れたギタリストだった彼は、「恋はフェニックス」(67年)のヒットをきっかけに歌手として大成功。全米3位の大ヒットとなった「ウィチタ・ラインマン」(68年)のイントロには、キャロルが考案したベース・ラインが使われている。彼女にとって、この曲はとても大事なものだそうだ。
キャロルといえば、ビーチ・ボーイズの一連の傑作レコードにも触れないわけにはいかないだろう。名盤『ペット・サウンズ』(66年)や幻に終わった『スマイル』にも、彼女は全面的に参加。シングルでは傑作「グッド・ヴァイブレーション」(66年)で聴くことができる独創的なベース・ライン、あれもキャロルが考案した名フレーズだった。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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