2019年08月20日
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2019年08月20日
1967年2月5日、「僕のマリー」でレコード・デビューしたザ・タイガースは、同年5月5日から1週間に亘って開催された『日劇ウエスタン・カーニバル』に初単独出演(前回は内田裕也との共演)。それまでの日本のバンドとは異なり、ステージを縦横無尽に動き回る彼らの若々しいアクティヴなパフォーマンスは、少女ファンたちを熱狂させ、同日発売のセカンド・シングル「シーサイド・バウンド」も40万枚を超えるセールスを記録した。
若手超有望格としてブレイクしたザ・タイガースの勢いは止まらず、芸能メディアによってGS(グループ・サウンズ)と名付けられたバンド・シーンの頂点に君臨する先輩ザ・スパイダースとブルー・コメッツの座を揺るがすほどの快進撃を続けて行く。そんな中で、彼らの人気を決定付ける3枚目のシングル制作が進められていった。
通常ならば、発売時期が夏であり、大ヒット曲「シーサイド・バウンド」の次のシングルということで、リズムを強調した明るい楽曲が企画されるのが定石であろう。しかし、デビュー以来、ザ・タイガースの全楽曲の作曲・編曲・プロデュースを手がけていたすぎやまこういちは、彼らのシングル曲を発売順に並べると一つの組曲として完成するという青写真を描いており、それを基に作詞家の橋本淳が具象化するイメージ作りをして言葉を紡ぐという制作体制においては、そんなレコード業界の常識は通用しなかった。
「僕のマリー」はマルセイユの船乗り、「シーサイド・バウンド」はニースやカンヌの若者たち…といったイメージで楽曲を作ってきたすぎやま・橋本コンビが、次のテーマとして選んだのは中世ルネッサンス期のイタリアだった。タイトルは「モナリザの微笑」。当然曲調はクラシカルなバロック音楽調というわけで、クラシック音楽好きのすぎやまにとってはお手の物の題材だった。
地中海性気候の乾いたイメージが強いイタリアにしては、歌詞が「雨の日曜日」に設定されているのは、梅雨入りシーズンに作られたことも関係しているのだろうか?レコーディングが行なわれたのは1967年6月26日(月)だが、ちなみに気象庁のデータによると、この日の東京の天気は快晴で気温は30.1度だった。
当日は「モナリザの微笑」の他に、「真赤なジャケット」と「ノーモア・ラブ」という新曲2曲もレコーディングされている。「真赤なジャケット」は「モナリザの微笑」の世界から一転、ファンの嬌声をSE(効果音)として用いて、ビートの効いたガレージ・サウンドに仕上げた作品。ティンバレスをフィーチャーしているのは「シーサイド・バウンド」を意識してのことだろう。「ノーモア・ラブ」は現在も未発表のままの作品で、どんな曲調だったのか内容は一切不明である。
この日録音された「モナリザの微笑」は宮川泰が編曲を担当。イントロやブリッジに弦楽四重奏団をフィーチャーしたバロック色の濃い仕上がりだったが、このヴァージョンはボツとなり、7月4日に再レコーディングされている。こちらは作曲者のすぎやまこういちが編曲を手がけており、イントロとブリッジ、アウトロにエレクトリック・ハーモニカ(ライヴでは森本太郎が演奏した)をフィーチャー。結局このヴァージョンと「真赤なジャケット」のカップリングで、今から52年前の今日1967年8月20日にリリースされた。発売後半月も経たないうちに30万枚を超えるセールスを記録。最終的には前作を上回る大ヒットとなっている。
ジャケットでザ・タイガースがまとった中世の騎士風のコスチューム(「王子様ルック」と呼ばれた)は、これまで彼らの衣装を手がけて来たブティック『ベビードール』の経営者であり、文化人・芸能人が常連客だったイタリアン・レストラン『キャンティ』の女主人でもある川添梶子のデザインによるものである。
さらに彼女は、「モナリザの微笑」発売直後の『ウエスタン・カーニバル』出演用に、黒いベルベットのミリタリー調の上着に白いスキーパンツ、リング・ネックレスをアクセントにしたシックな衣装もデザイン。これはテレビ出演時の度に着用していたこともあって、お茶の間でも親しまれ、タイガースのアイコンとして広く認知されていった。そして、「王子様ルック」を含めこれらの中世風コスチュームは、その後のGSのユニフォームの雛型となっていったのである。
衣装だけではない。ザ・タイガース(と言うよりも、すぎやまこういち)が「モナリザの微笑」で打ち出したクラシカル・バロック路線は、その後も「落葉の物語」→「白夜の騎士」→「光ある世界」と続き、アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』で結実するが、アダムスやピーコックスなど後進GSたちにも継承されていったのである。
ザ・タイガース「僕のマリー」 「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」ジャケット撮影協力:中村俊夫&鈴木啓之
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