2019年06月20日

新生フィンガーズのデビュー曲「愛の伝説」は、ザ・タイガース「廃墟の鳩」のプロトタイプ!?

執筆者:中村俊夫

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1962年、慶應高校の生徒たちによって結成されたアマチュア・バンド「クール・ボーイズ」は、翌63年に当時まだ日本では 一般的な知名度の低かったシャドウズやベンチャーズ等のエレキ・インスト・ナンバーもレパートリーに取り入れるようになり、主に仲間内のパーティーなどで演奏。グループ名も「ザ・サベージ」(のちに「いつまでもいつまでも」でデビューする同名グループとは無関係)、「ブルー・サウンズ」と改名をくり返し、メンバー全員が慶應大学への進学が決まった64年初頭に「ザ・フィンガーズ」という名前に落ち着いた。


エレキ・ブーム前夜とも言える64年4月、エレキ・ギターの拡販を目論んだ銀座YAMAHAの関係者が発起人となって、学生アマチュア・エレキ・バンドのサークル『東京インストゥルメンタル・サークル』(通称T・I・C)が結成されると、慶応のプラネッツ、立教のビートニクスなどと共にフィンガーズも参加。T・I・C主催の定期コンサートをはじめ、都内各地で開かれていたダンス・パーティーなどで頭角を現し、特にリード・ギター担当の成毛滋の驚異的な早弾きプレイが注目を集めていた。


66年5月、エレキ・ブームの象徴とも言うべきアマチュア・バンド・コンテスト番組『勝ち抜きエレキ合戦』(フジテレビ系)に出場したフィンガーズは、第1週目から満点を獲得。見事4週勝ち抜いてグランド・チャンピオンに輝き、翌月の『グランド・ チャンピオン大会』でも優勝。これがきっかけとなり、翌67年3月1日にテイチクのユニオン・レーベルより「灯りのない街」でレコード・デビューした。以後「ゼロ戦」(67年7月)、「ツィゴイネルワイゼン」(68年2月)の計3枚のシングルをリリースするが、全曲エレキ・インス ト・ナンバーであった。



しかし、すでに時代はGSブームの真っ只中。フィンガーズのような古色蒼然としたエレキ・インスト・バンドは時代遅れの感を否めず人気も伸び悩み。成功を収めるには至らなかった。バンド内でも大学卒業を控え、一般企業への就職を希望するメンバーが脱退するなど、67年末には活動停止状態に陥っていたのである。


68年4月、残留メンバーである成毛滋(リード・ギター)、高橋信之(サイド・ギター)、クリストファー・レン(本名・蓮見不二男/ヴォーカル、キーボード)の 3人に、シー・ユー・チェン (ベース、ヴォーカル)、松本幸(ドラムス)を加えた新生フィンガーズは、シャンソン界の大御所・石井好子率いる石井音楽事務所と契約。再スタートを切ったが、エレキ・バンド時代のイメージを払拭し、ヴォーカルをメインにしたGSへの転身にこだわった石井音楽事務所は、成毛にステージでギターを弾くことを禁じ、キーボード奏者への転向を命じた。不本意ながら独学でピアノとオルガンをマスターした成毛は、当面はギターを封印。しぶしぶ鍵盤に向かわざるを得なかったのである。


そして、今から51年前の今日1968年6月20日、キングレコードの洋楽レーベル「ロンドン」より、新生フィンガーズのデビュー曲「愛の伝説」がリリースされた。作曲を手がけたのは、前年夏にザ・スパイダース「あの虹をつかもう」で作曲家デビューしたばかりの村井邦彦。「愛の伝説」の5日前にリリースされたテンプターズの「エメラルドの伝説」(村井にとって初のオリコン1位曲)も彼の作品で、クラシカルなテイスト溢れるGSソフト・ロックを創作し始めた時期の「エメラルド~」に続くGSクラシカル第2号作品でもある。


村井のGSクラシカル路線は、この後、アダムス「旧約聖書」→ザ・タイガース「廃墟の鳩」→ザ・テンプターズ「純愛」→アダムス「眠れる乙女」と続いていくが、「愛の伝説」はまさに「廃墟の鳩」のプロトタイプと言える作品である。68年11月発売の2ndシングル「少女へのソナタ」も村井邦彦作品で、弦楽四重奏を全面的にフィーチャーしたバラード。村井のGSクラシカル路線の集大成とも言えるタイガースのアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』にも通じる格調高い作品だ。バンドの思惑はともかく、事務所とレコード会社が目論んだ “ソフト・ロック の貴公子”というイメージ戦略はここに完成したと言えるだろう。


69年1月、クリストファー・レンが脱退。後任ヴォーカリストとしてクロード芹沢が参加した初シングル「失われた世界」(69年6月)では、成毛のギター・プレイが復活。ジャズ喫茶のステージでも、ジミ・ヘンドリックス、クリームなどニューロック系の曲を中心に演奏しており、バニラ・ファッジやディープ・パープルの曲では、成毛が右手でオルガン、左手でハンマリング奏法を駆使してギターを弾くという、のちにストロベリー・パスで披露して話題を呼んだ“曲芸弾き”をすでに完成していた。


こうした新しいロックの潮流に対応したフィンガーズに、ファン(若き日のユーミンもそのひとりだった)も増えつつあったが、商業的な成功を得ることはできず、「失われた世界」を最後に事務所とレコード会社から契約を打ち切られ、ついにバンドは解散してしまう。解散後、 成毛滋とシー・ユー・チェンは渡米して『ウッドストック』を体験。帰国後、成毛は伝説の『10円コンサート』の主催や様々な演奏活動で、日本のニューロック黎明期を代表するミュージシャンとして活躍した(07年没)。


シー・ユー・チェンとクロード芹沢は、69年にロック・ミュージカル『ヘアー』の日本版公演に出演。現在シー・ユー・チェンは実業家として活躍中だ。高橋信之(高橋幸宏の実兄)は作・編曲家として、BUZZ「ケンとメリー~愛と風のように~」(72年)のヒットを放った他、音楽プロデューサーとして数多くのCM音楽作品を手がけている。

ザ・フィンガーズ「灯りのない街」「ゼロ戦」「愛の伝説」ザ・タイガース「廃墟の鳩」ジャケット撮影協力:中村俊夫&鈴木啓之


≪著者略歴≫ 
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。
サウンド・オブ・ザ・フィンガース ザ・フィンガーズ 形式: CD

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