2015年05月08日

春一番に思う、高田渡のこと(後編)

執筆者:小川真一

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高田渡の若き日の日記をまとめた「マイ・フレンド」(河出書房新社刊)を編纂したのは、息子のであった。ミュージシャンとして、<渡の息子>という肩書きはもう必要ない。細野晴臣、高橋幸宏、星野源らにとっての、頼りがいのある相棒となっている。2002年に最初のソロ・アルバム『LULLABY』を出してから、すでに13年の月日が経っているが、その間にどれだけ成長したのかわからない。現在は日本を代表するマルチ・インストゥルメンタリスト/ヴォーカリストのひとりだ。


どこかに父親への反抗のようなものもあったかもしれない。エレクトロニカに接近していた時期もあるが、数年前から得意なペダル・スティールやワイゼンボーンではなく、アコースティック・ギターの抱えてのライヴをおこなっているのを聴いてびっくりした。それも、父親から遺品として譲り受けたギター(YAMAHAの渡モデル)を使って。


その父親である高田渡と真正面から対したのが、高田漣『コーヒー・ブルース〜高田渡を歌う〜』(ベルウッド)だ。勇気も躊躇もはにかみもあったかもしれない。それでもやはり、音楽家として肩を並べたかったのだと思う。演奏は文句のつけどころがない。高田渡が咀嚼したルーツ・ミュージックのさらに奥まで潜り込み、現在進行形の感覚で再構築している。これは日本で聴くことのできる最良のアメリカーナであると思う。それよりも歌が見事だった。声も歌い方も父親のそれとは違うのだけれど、高田渡のもっていた無常観、泣きはらした後の清々しさのようなものが伝わってくる。これは漣固有のものであり、それでいて渡から自然と受け継いだものが根底となっているのだ。いや、はっきりと言っておこう、高田漣という素晴らしい歌い手を、この日本は手に入れたと。


聴くたびに、高田漣『コーヒー・ブルース〜高田渡を歌う〜』に流れる心地よさはなんだろうかと思う。それは静かに敬意が溢れだしているからだろう。これこそがトリビュート・アルバムであるのだ。なおこのアルバムは、父親・高田渡の古巣である、ベルウッド・レーベルからリリースされた。


話を春一番コンサートに戻そう。このライヴの創始者である福岡風太は、雲遊天下の「祝春一番2006」増刊号の中で、「渡が死んだ日に「来年も春一をやろう」と俺は決めたんや」と語っている。この決意はとても嬉しかった。今年の春一には、高田漣が出演したのだが、そのステージの脇には、渡が愛用していた自転車が置かれていたという。様々なものが受け継がれていく。とても自然に、そして、とても穏やかに。

高田渡

コーヒーブルース~高田渡を歌う~ 高田漣

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