2015年05月07日

日本フォーク&ポップス史にその名を刻むシンガーでありソング・ライター、西岡恭蔵

執筆者:篠原章

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西岡恭蔵は、1948年の今日(5月7日)、三重県志摩半島に生まれた。日本フォーク&ポップス史にその名を刻むシンガーでありソング・ライターである。


1970年代初頭のフォーク・ファンにとって聖地の一つだった、大阪の喫茶「ディラン」が西岡の出発点である。「ディラン」は、69年8月15日に大阪・難波元町に大塚まさじと石村洋子が開いた小さな店。ボブ・ディランなどアメリカン・フォークをかける店として評判になり、当時近畿大生だった西岡は、友人の永井ようと一緒に通いつめた。高田渡、中川五郎、中川イサト、遠藤賢司、友部正人、伊藤銀次、いとうたかおなどといった錚々たるメンバーが店に出入りする中、西岡、大塚、永井の3人はまもなく “ザ・ディラン”という緩やかな結びつきの音楽集団を結成して音楽活動を始めた。

 やがて西岡はソロ歌手を目指すようになる。先にデビューしたのは大塚と永井のデュオ“ディランII”(71年)だったが、彼らの人気曲「プカプカ」や「サーカスにはピエロが」は象狂象こと西岡の作品で、西岡はシンガーとしてよりも先にソング・ライターとして知られるようになった。


 シンガー・西岡恭蔵のデビューは72年の『ディランにて』。が、西岡の存在をより強く印象づけたのは、73年9月21日に文京公会堂で開催されたはっぴいえんどの解散ライヴ「CITY - LAST TIME AROUND」への出演だった。はちみつぱい(後のムーンライダーズ)のメンバーなどにバックアップされた西岡は、名曲「街行き村行き」「春一番」を披露するが、湿っぽさの微塵もないその大陸的なアメリカン・サウンドは、政治的なフォークや内向的なフォークの時代は終わったという「宣言」にも等しい画期的なものだった(『ライヴ!!はっぴいえんど』〔74年〕に収録)。

 代表作『街行き村行き』(74年1月)と『ろっかばいまいべいびい』(75年)は細野晴臣プロデュース作。後者は鈴木茂率いる伝説のユニット “ハックル・バック”がサポートしたことでも知られる。他に『南米旅行』(77年)『ヨーソロ』(79年)『ニューヨーク TO ジャマイカ』(81年)『START』(93年)『Farewell Song』(97年/遺作)、KYOZO&BUN(岡島善文/ベーシスト)名義の『パラダイス・カフェ』(86年)と『トラベリン・バンド』(90年)などのアルバムが残されている。


 作詞、作曲家としても活躍したが、とくに矢沢永吉(作詞)や山下久美子(作曲)などへの楽曲提供で知られる。矢沢に提供した詞は30曲に上り、その中には「A Day」「ライフ・イズ・ヴェイン」「あ・い・つ」「黒く塗りつぶせ」「逃亡者」「苦い雨」「Rolling Night」などの定番人気曲も含まれている。


97年4月4日、作詞家だった愛妻のKUROを乳癌で失い、98年3月30日、東京・三軒茶屋パブリック・シアターにゆかりのミュージシャンを集めて「KUROちゃんをうたう」コンサートを開催した。同年10月には同名のトリビュート・アルバムもリリースしている。


 が、西岡恭蔵にとって、やはり愛妻の死はとてつもなく大きな出来事だったようで、KUROの三周忌を控えた99年4月3日、西岡恭蔵は自殺というかたちでその人生に終止符を打った。


99年7月18日には日比谷野外音楽堂で、「西岡恭蔵&KURO追悼コンサート」が行われ、大塚まさじ、高田渡、中川五郎、あがた森魚、友部正人、小室等、桑名晴子、石田長生など多数のミュージシャンが出演した。最後の公式アルバムは『GloryHallelujah〜西岡恭蔵自選ベスト』(2002年)。


西岡恭三

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