2015年07月07日
スポンサーリンク
2015年07月07日
本日7月7日は上田正樹の誕生日、今年で66歳となる。
上田正樹&サウス・トゥ・サウスとの付き合いは本当に長い。彼らがデビューする以前、それこそ東京の赤坂にあるライヴ・ディスコ「ムゲン」に箱バンとして出演していた頃からだから、もうかれこれ40年以上前のことになる。今や伝説となっているサウス・トゥ・サウスだが、実際に彼らをリアルタイムで観た経験のある人は、齢を考えるともう数少ないのかも知れない。ましてや当時(74~76年頃)の日本のロックは少数派の音楽でレコードが売れても、せいぜい1万枚なんて時代だから無理もない。
が、セールス的なことを抜きにすれば、当時の日本のロック・シーンこそはその演奏力のグレード、音楽的な多様性からも間違いなくロックの全盛期だったように思う。その日本のロック絶頂期にあって、人気、実力共に最高峰だったのが上田正樹&サウス・トゥ・サウスであった。勿論、その中心はヴォーカリストの上田正樹。
レイ・チャールズの影響大のソウル・バラード系は勿論のこと、アップ・テンポのファンクなヴォーカルはオーティス・レディング、ルーファス・トーマス譲りのものだった。とりわけ、“ガッツァ、ガッツァ”の強力無比のノリが炸裂するオーティスの「お前を離さない」、ルーファス・トーマスの「ブレイク・ダウン」などは、強靭なリズム隊を擁したソウル・バンドとしての無類のパワーが弾け、国内無敵だったものだ。
当時のサウス・トゥ・サウスは一部が『ぼちぼちいこか』で組んでいた有山淳司とのアコースティック・セット、二部がサウス・トゥ・サウスによるソウル・バンド・セットだったが、またその一部が絶妙だったものだ。有山淳司ならではのラグタイム・ギターをフィーチャーしてのステージは関西弁満載の生活感溢れたもので、その軽妙な詩が観客を爆笑の渦に巻き込んだものだ。
中でも下着泥棒を題材にしてコミカルに皮肉った「取ったらあかん」の詩は散々に笑わせたものだ。下着を盗んで監獄に入った主人公が思いを馳せるのは女房の小春だが、この小春という名に独特のバタ臭い浪花気質を感じ取ることが出来る。通天閣を舞台に活躍した一匹狼の貧乏将棋士、坂田三吉の女房の名前は小春。こんなちょっとした所に大阪人ならではのプライド、反骨が見え隠れする。
そう言えば、つい最近有山岸(有山じゅんじ・山岸潤史)+上田正樹で会った時に、『ぼちぼちいこか』の話になったことがある。塩次伸二も藤井裕も逝った今、次にアルバム出す時はみんな三角巾付けようか?って言うから、じゃあ『ぼちぼちいこか』ってそういう意味か?ってことで大笑いして別れた記憶が...。流石は関西人、最後はキチンと落ちを作ってくれる。(^o^)
1967年、シスコ郊外で行われた『モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル』(6月16日~18日)はオーティス・レディング、ラヴィ・シャンカール、ブッカーT&MG’s、ザ・フー、...
本日3月15日は、「チャッピー」のニックネームで知られる元ザ・ワイルド・ワンズのキーボード奏者・渡辺茂樹の命日(享年63歳)。子供の頃から育まれた彼の音楽的素養は、ワイルド・ワンズの音楽性をより...
村上龍の第75回芥川賞受賞作「限りなく透明に近いブルー」(1975年出版)が1979年に自身の監督・脚本で映画化され、その完成記念イヴェントが78年12月に行われた。サントラに収録された曲を上田...
77年というと、記憶に残っているのは4月10日、晴海の国際貿易センターでのローリング・ココナツ・レビュー・ジャパンのステージだ。この晴海のコンサートは4月8日から3日間にわたって行われ、ジャクソ...
70S中頃の日本のロック・シーンでは「春一番」、「夕焼け祭り」、「ワン・ステップ・フェスティヴァル」などのロック・フェスが各地で盛んに行なわれたものだが、今ひとつ忘れてならないのがアマチュア・ロ...
上田正樹&サウス・トゥ・サウスとしての初アルバム『この熱い魂を伝えたいんや』が発売されたのは1975年12月15日。当時としては考えられない、掟て破りのライヴ・アルバムでのデビューであった。 t...
6月16日、今日はCharの60歳の誕生日。 6歳からクラシックピアノを習い、8才でギターを手に取り、16歳ですでにスタジオミュージシャンとして活躍をしていたというChar。早熟の極みに、え? ...