2016年08月08日
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2016年08月08日
70S中頃の日本のロック・シーンで最も重要な出来事と言えば、ライヴ・ハウスの誕生と、ロック・フェスの台頭が挙げられるだろうか。例えば、ローカル・ロックの登場の背景には日本各地に誕生したライヴ・ハウスが大きく貢献している。
一方のロック・フェスも「春一番」、「夕焼け祭り」、「ワン・ステップ・フェスティヴァル」など、各地で盛んに行なわれたものだが、今ひとつ忘れてならないのがアマチュア・ロック・コンテストだ。その草分け的存在であったのが、全国に先駆けて関西地区で73年から開始されたヤマハ主催の「8.8.ロック・デイ」だった。
僕が審査員として関わり始めたのは75年の第3回からだったが、浸透して規模が大きくなり、実際に関西のロック・シーンに影響を持ち始めたのもその頃からだったように思う。当時は他にアマチュアが参加できるようなライヴ・イヴェントなどなかったから、目ぼしいアマチュア・バンドの殆どが参加、1年に1度のビッグ・ステージで一花咲かせようとしのぎを削ったものだ。「8.8.」が“ロックの甲子園”と呼ばれたのも頷けよう。結果はプロに引けを取らないハイ・レベルの争いになり、ツイストや花神、サザン・クロス、スターキング・デリシャス、バーボン・ストリート・バンドなど、多くのプロも輩出している。
が、全てのバンドが最優秀バンド賞を目指していたのかと言えば、案外そうでもなかったような気がしている。確かにプロへの登竜門という一面はあれども、今振り返って見ると、それ以上に関西の夏の風物詩、底抜けに楽しいイヴェントだったように思う。審査する方も、“えっ!こんなバンドもいるんだ!?”とか、“こんなのありか!?”とか、その音楽的多様性、個性は見事なほどで、それが楽しみで見ていた記憶がある。言わば、参加することに意義があるライヴ・イヴェントだったのである。
そんな一端が垣間見えるのがバンド・ネームだろう。マジメなものもあるが、そこは流石に関西! ウケ狙いのギャグ・センス満載で奇妙奇天烈な名前で目立とう精神の笑えるバンドばかり。演奏もそうだが、バンド名でもしのぎを削っていた記憶がある。ちなみに印象に残ったバンド名を挙げて見ると、激突モモンガ・パートⅡ、ファンキー・チキン・パートⅡ、つたんかーめん、魔璃鴉、柳町はるさめショー、L.S.D.、よのすけブルースバンド、国士無双、三途の川など、殆どが音楽性とは関係ないネーミングで登場していたから面白い。考えて見ればスターキング・デリシャスだって、元はと言えばリンゴの品種なんだから一風変わってはいるんだが、それですらこのグループ群の中に入ると見事に霞んでしまう。
そうそう、後に♪とんでとんで…♪(夢想花)の大ヒットを放った円 広志も実はこの「8.8.」出身。当時は“ズーム”というバンドで出場し、何とザ・フリーのカヴァーを得意としていたというのも意外なエピソードかも知れない。
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