2017年03月15日
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2017年03月15日
本日3月15日は、「チャッピー」のニックネームで知られる元ザ・ワイルド・ワンズのキーボード奏者・渡辺茂樹の命日(享年63歳)。1951年2月10日生まれ(出身地は神奈川県川崎市)なので、御存命ならば現在66歳になる。母親は日本ジャズ・ピアノの草分けである平茂夫の娘で、茂樹が3歳の時にコロムビアより「東京ワルツ」(1954年)のヒットを放った歌手・千代田照子(芸名)。その後ピアノ教師に転身し、6歳になった茂樹も彼女からクラシック・ピアノを学ぶこととなる。母方の親戚もほとんどが音楽関係者で、祖父の弟であるジャズ・ギタリスト平八郎の息子は、なんとドリフターズのドラマー加藤茶である。そんな家庭環境からか、弟の直紀も後にスペクトラム、AB’sのベース&ヴォーカルとして活躍。妹の晴海も84年に「南翔子」の芸名で歌手デビューしている。
川崎市立住吉中学校2年生の時、幼なじみで当時ディメンションズというバンドのドラマーだった植田芳暁からドラムを教わり、学友たちとアマチュア・バンド「ディメンションズ・ジュニア」を結成。ドラムとヴォーカルを担当した。翌年には横浜中華街にあった「レッド・シューズ」のハウスバンドにドラマーとして参加。中3にしてセミプロの道を歩み始める。東洋音楽大学付属高校(現・東京音楽大学付属高校)に進学後の1967年10月、植田芳暁を通して親交のあったワイルド・ワンズの結成1周年記念リサイタルのフィナーレにおいて、メンバー挨拶時のバックでピアノを弾き、これがきっかけとなって、同年11月には、ワイルド・ワンズの新曲「愛するアニタ」のレコーディングにオルガンで参加した。
以前からバンドの音に厚みをもたせるためキーボード奏者の必要性を感じていたと同時に、タイガースのジュリー、テンプターズのショーケンなど10代のGSアイドルが誕生して、人気の面で年齢的にもヴィジュアル的にも圧倒される側になりつつあることに危機感を抱いていたワイルド・ワンズのリーダー加瀬邦彦は、5人目のメンバーとして渡辺茂樹に白羽の矢を立てた。67年12月に正式加入した渡辺は、翌68年1月の第34回『日劇ウエスタン・カーニバル』のステージで本格的デビュー。同年4月10日に、キーボードの他、リード・ヴォーカル、フルートも手がける渡辺を前面にフィーチャーした新生ワイルド・ワンズの新曲「バラの恋人」がリリースされると、オリコン・チャート第6位まで上るヒットとなったのである。
中学時代にジャニーズ事務所に出入りし、フォーリーブス結成メンバーの候補にも上っていたという甘いルックスと17歳という若さで、たちまち少女ファンたちのハートを掴み取り、『週刊明星』誌上で公募され決まった「チャッピー」というニックネームと共に、ジュリー、ショーケンに次ぐ人気GSアイドルとして脚光を浴びた渡辺は、ワイルド・ワンズの人気面において多大な貢献を果たしたが、それだけではない。子供の頃から育まれた彼の音楽的素養がワンズの音楽性をより豊かなものにしていったのである。
そんな彼の才能を余すところなく発揮したのが、近年、和製ソフト・ロックの名盤として高く評価されているワンズの5枚目のスタジオ録音アルバム『ファイブ/ワイルド・ワンズ愛を歌う』(69年)で、収録曲の半数(6曲)を作曲し、4曲でヴォーカルを披露している他、ワンズ作品の編曲を数多く手がけている東海林修に師事し基礎から学んだ成果を試すべく2曲の編曲にも挑戦。“湘南サウンド”からの脱却を図ったワンズが、さらなる音楽的高みに到達する大きな力となった。
71年にワイルド・ワンズ解散後、陳信輝(g)、大口広司(ds)と共にインスト・トリオ「オレンジ」(かまやつひろしのバックを務めた同名バンドとは異なる)を結成するも短期間の活動で終わり、その後は渡辺プロダクションのスタッフとして、「ロックンロールサーカス(RRC)」「MMP」(スペクトラムの前身)等のバンドで所属歌手のバッキングを手がけたり、作編曲、プロデュース活動をしていた。2014年3月21日、東京品川の霊源寺で営まれた渡辺の葬儀では、出棺の際に彼が作曲したキャンディーズのラスト・シングル曲「つばさ」(78年)が流されたという。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
『つばさ』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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