2016年07月24日

[第11回読者投稿コラム]村下孝蔵が旅立ってから17年が経つ text by  鈴木一行

執筆者:読者投稿

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1999年6月24日、46歳の若さで村下孝蔵さんが天国へ旅立たれました。ノスタルジックな哀愁のある曲調、孤高のシンガーソングライターの旅立ちでした。そんな彼の作品は幼少期の体験、環境が大きいのではないのでしょうか?


1953年2月28日、熊本県水俣市に映画館の息子として生まれ幼い頃から洋画、邦画を観て育ち、その頃聴いた映画音楽が村下メロディーの基礎となったと思われます。それを決定づけたのは加山雄三の「エレキの若大将」でした。エレキギターに興味を持ち加山と同じようにエレキを持つことに憧れます。しかし時代はエレキ=不良と言われた時代。親に反対された村下少年は自身でギターを製作します。


加山のポスターを見てサイズを測りラワン材を使い弦は釣り糸でオリジナルギターを作成。彼の曲を聴くと加山ワールドを思わせるところが随所に見られ曲作りにおいてかなりの影響を受けているように感じます。


加山の次は多くのギター小僧がそうだったようにベンチャーズ。彼のライブを観た人は知っていますが途中、ベンチャーズコーナーが有り「キャラバン」等、アコギで何曲かを披露。あまりそれらのインスト曲がCD化されておらず残念です(ギタープレイはメチャテクです)。

そして念願のベンチャーズスタイルのバンドを結成した村下少年ですがブームも去りメンバーもいなくなりやがて一人に。アコギで一人ベンチャーズを演奏するのは好きで始めたわけではなく、こんな理由からなのです。


その後広島に転居した村下だがその土地柄からか吉田拓郎のコピーをする人が多く、時はまさに大フォークブーム、アコギでフォークをやらなければ音楽仲間が作れない、そんな事情からフォークの世界に。


ここからが村下のアーチストの始まり。


オリジナル曲で頭角を現し、つにには1979年にCBSソニー全国オーディションに合格、念願のメジャーデビューを果たす。

地味な活動が好転するのは「ゆうこ」のスマッシュヒットから。


そして彼の最大のヒット「初恋」が生まれます。浜田省吾、尾崎豊等を担当し村下をずっと後押ししていたプロデューサー、須藤晃。フォーク調のこの曲を特上なPOPサウンドに仕上げたアウトキャスト出身ギタリスト、アレンジャー水谷公生。浜田省吾とバンド愛奴を結成、絶妙なコーラスアレンジを担当した町支寛二。


この三人が居たからこの曲のヒットは生まれたと言ってもいいのではないのでしょうか?


その後の活躍は説明する必要はないでしょう。完璧なギターテクニック、ファルセットと独特なこぶしと切なくクリアーな歌声。50歳、60歳になった村下孝蔵を生で聴いたみたかった。

初恋~浅き夢みし 村下孝蔵

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