2018年10月23日

本日10月23日は渡辺真知子の誕生日~飽くなきチャレンジ精神で進化し続ける“元祖シンガー・ソングライター・アイドル”

執筆者:濱口英樹

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比類なき歌声と、底抜けに陽気なキャラクターで、多くのファンを魅了している渡辺真知子は1956年10月23日、横須賀市で生まれた。今日で62歳を迎えたわけだが、音楽を愛し、新しいことに意欲的に取り組む姿勢はデビュー以来、変わっていない。いや、寧ろますます強まっているといえるだろう。今年(2018年)は1月に40周年記念アルバム『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』をリリース。現在は記念コンサートを全国で開催中だが、つい先日、10月10日には、オフィシャルサイト「Kamome’s nest」で、中島みゆきの音楽舞台『夜会Vol.20リトル・トーキョー』(2019年1月30日~2月27日まで全国20公演)に出演することが発表された。森田芳光監督の映画『メイン・テーマ』(84年)で財津和夫と夫婦役を演じて以来、数本のテレビドラマに出演するなど、女優としても実績を持つ彼女だが、本格的な舞台は初めて。実はポプコン同期生である中島みゆきとの共演も大きな話題を呼んでいる。既成概念に捉われず、ジャンルを超えた活動で、いくつもの「初」を積み上げてきた渡辺真知子にとって、これもまた自身を成長させるための挑戦なのだろう。


小さい頃から歌うことが好きで、中学時代はバーブラ・ストライサンドやスティービー・ワンダーの歌真似をしていたという渡辺真知子は、高校進学後、地元横須賀で活動していたロックバンドにサイドボーカルとして加入。エリック・クラプトンなどの曲をシャウトする一方、高校の同級生とフォークユニット「PIA」を結成し、ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)にも挑戦する。高校卒業直後に開催された第9回大会にソロ歌手として出場した彼女は、自作曲の「オルゴールの恋唄」をピアノの弾き語りで披露。特別賞(川上賞)を受賞し、以後、譜面歌手(譜面で応募された作品を歌う歌手)として第12回大会まで連続出場を果たす。ちなみに初出場した第9回大会で「傷ついた翼」が入賞曲となったのが、誰あろう中島みゆきであった。あまたの新人を発掘したポプコンで、ソングライターとしてだけでなく、ボーカリストとしても才能を認められていた渡辺だが、それは短大の音楽科に進み、声楽の勉強を始めていたことも大きかっただろう。彼女にとってはポップスも、ロックも、フォークも、声楽も、「歌う」という点ではみな同じ。ジャンルに捉われず、様々な音楽に貪欲に取り組んだことが肥やしとなったことは想像に難くない。


そんな彼女の実力に目を付けたのが、当時CBS・ソニーの敏腕プロデューサーとして活躍していた中曽根皓二である。朝日ソノラマを経て、68年、設立されたばかりのCBS・ソニーに一期生として入社した中曽根は、アンドレ・カンドレ(井上陽水)、吉田拓郎、五輪真弓などのシンガー・ソングライターを手がける一方、天地真理やキャンディーズなど、アイドルポップスでもヒットを連発していた。その中曽根の指導により自作曲を書きためた渡辺は短大卒業後の77年11月、「迷い道」でデビュー。卓越した歌唱力を最大限に生かしたメロディと、インパクトのある歌詞はたちまち評判となり、オリコン3位まで上昇する大ヒットを記録する。新人の場合、1曲大きなヒットが出ると、そのイメージに引っ張られ、あとが続かないケースが散見されるが、彼女に関してはそのジンクスは無縁だった。2ndシングル「かもめが翔んだ日」(78年4月/作詞は伊藤アキラ)はオリコン5位、3rdシングル「ブルー」(78年8月)は同10位をマーク、アルバムも1st『海に連れていって』(78年5月)から3rd『遠く離れて』(79年6月)まで3作連続でトップ10入りを達成したからだ。




世界歌謡祭グランプリのような大きな賞を受賞したわけでも、強力なタイアップがついたわけでもない新人の活躍はまさに快挙で、デビューから3作連続のトップ10入りを果たした女性シンガー・ソングライターは96年に岡本真夜が並ぶまで、久しく破られることのない大記録であった。前代未聞の快進撃はもちろん楽曲の魅力や抜群の歌唱力あってこそのものであるが、その要因の一つにテレビ映えする美貌、もっと言えばアイドル性を帯びたビジュアルがあったことも挙げておかねばなるまい。かくいう筆者も『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)や『ザ・ベストテン』(TBS系)を観てファンとなり、なけなしの小遣いをはたいてレコードを買ったクチ。そう、渡辺真知子は、テレビという媒体を積極的に活用して成功した初めての女性シンガー・ソングライターだったのである。その戦略は同じCBS・ソニーに所属していた太田裕美の逆パターンといえるだろう。渡辺プロダクション所属のアイドルとして売り出されながら、ピアノの弾き語りやアルバム曲の作詞・作曲で、シンガー・ソングライター的なイメージも纏っていた太田に対し、渡辺はシンガー・ソングライターとしてデビューしながら、『平凡』や『明星』にも登場するアイドル的な要素を持ち合わせていた。当時の人気ぶりは『明星』の人気投票(女性タレント部門)で、岩崎宏美やアグネス・チャンらと並んで、2年連続(78~79年)トップ10入りしたことからも窺える。こうして史上初の“女性シンガー・ソングライター・アイドル”となった渡辺真知子は78年の新人賞を総なめにし、紅白歌合戦にも初出場。日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を「ブルー」で、日本レコード大賞・最優秀新人賞を「かもめが翔んだ日」で受賞し、紅白歌合戦では「迷い道」を披露するという、これまた史上初の「それぞれ違う曲で三冠達成」を実現する。


芸能界と音楽界の垣根を飛び越え、鮮烈なデビューを飾った渡辺だが、長く活動するアーティストの宿命として低迷期も経験している。30歳の頃には自信を喪失し、充電のために米国に留学したこともあったが、そこで歌った「かもめが翔んだ日」が、言葉の壁を超えて拍手喝采されたことで「自分にはやっぱり歌しかない!」と確信したという。その後は、ジャズ、ラテン、ロック、クラシック・・・とあらゆる音楽に挑戦し、持ち前の歌唱力にさらなる磨きをかける一方、創作活動も意欲的に展開。近年はロシアや米国など、海外のステージでも圧倒的なライブパフォーマンスが好評を博すなど、ジャンルや国境を超えたボーダーレスな活躍を続けている。間もなくデビュー42年目を迎える渡辺真知子はこれからも歌を通して日本中、いや世界中に生きる力を与えてくれるに違いない。

渡辺真知子「迷い道」「かもめが翔んだ日」「ブルー」『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』 写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

ソニーミュージック渡辺真知子公式サイトはこちら>

渡辺真知子デビュー40周年企画盤『私はわすれない~人生が微笑む瞬間』スペシャルサイトはこちら>


≪著者略歴≫

濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。

私はわすれない~人生が微笑む瞬間~ 渡辺真知子 2018/1/9

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