2016年08月01日

本日8月1日は、日本を代表する名ドラマーつのだ☆ひろの67歳の誕生日。

執筆者:中村俊夫

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本日8月1日は、日本を代表する名ドラマーであり、シンガー、ソングライター、ラジオ・パーソナリティー、ドラム・スクール校長…etcと、まさに八面六臂の活躍をしているつのだ☆ひろ(本名・角田博民)の67歳の誕生日である。高校時代からジャズ・ドラマー富樫雅彦の門下生としてプロ入り。佐藤充彦トリオ~ジャックス~渡辺貞夫カルテット~増尾好秋グループ~ジプシー・アイズ(つのだ+成毛滋+柳ジョージ)~ストロベリー・パス(つのだ+成毛)~フライド・エッグ(つのだ+成毛+高中正義)~サディスティック・ミカ・バンド(結成時メンバー)…とキャリアを積んで来た彼が、初めて自分のリーダー・バンドを結成したのは1972年暮のこと。それが「キャプテン・ひろ&スペース・バンド」である。メンバーはつのだ(ドラムス、ヴォーカル)、芳野藤丸(ギター)、四方義朗(ベース)、今井裕(キーボード)の4人編成。今井は谷村新司が在籍していたフォーク・グループ「ロック・キャンディーズ」のベーシストとして海外公演歴もあり、芳野は「WISH」というバンドで活動していた。四方は加藤和彦のアシスタントをしていた経歴がある。


当時、英国ではT.レックス、デヴィッド・ボウイに代表されるグラム・ロック勢がフューチャー・レトロ的な音楽世界を体現していたし、日本でもキャロル、サディスティック・ミカ・バンドなどによって、シンプルなロックン・ロール/ブギーを基調としたサウンドとファッショナブルなヴィジュアルを重視したバンドが脚光を浴びていた。そんな状況に呼応して、スペース・バンドも派手なミリタリー調の衣装に身を纏い、ショーアップした楽しいステージを展開。フライド・エッグ時代から60年代ポップス風作品やスウィートなバラードを書いていたつのだらしいポップなサウンドを身上としていた。


こうした彼らの音楽的特性を余すとこなく発揮したのが、73年5月にリリースしたデビュー・アルバム『“LOST”or“FOUND”』で、収録曲全12曲中、ラヴァーン・ベイカー57年のヒット曲(全米17位)のカヴァー「ジム・ダンディー」を除くすべて、つのだが作詞もしくは作曲を手がけたオリジナル作品(ストロベリー・パス時代の名曲「メリー・ジェーン」の2度目のセルフ・リメイクも含む)で構成されており、特につのだが作詞・作曲共に手がけた「あの娘はアイドル」「ウエスタン・ジョニー」「初恋」「ディン・ドン」等は どれもキャッチーな佳曲で、ライヴやTVでもよく演奏された人気曲だった。


1974年2月に2ndアルバム『アラベスク』、同年6月には「カー・ペインターズ」名義でカーペンタース・ナンバーをカヴァーした企画インスト・アルバムをリリースした後、第一期スペース・バンドは解散(今井はミカ・バンドに参加)。新たに高橋伊久馬(ヴォーカル)、すみだ順(ギター)、藤井真一(ベース/元ジプシー・ブラッド)といったメンバーを集めたつのだは、「つのだひろ&スペース・バンド」名義で第二期スペース・バンドをスタートする。74年8月に郡山で開催された『ワンステップ・フェスティバル』でライヴ・デビューを飾るものの、同年秋にはメンバー・チェンジ。つのだとすみだが残り、新たに杉ゆきお(ベース/元ハイソサエティ)、大浜和也(キーボード)を加えて第三期スペース・バンドがスタートした。75年2月に「つのだひろとスペース・バンド」名義のアルバム『千客万来』をリリースするが、間もなくして解散。つのだの記念すべき初リーダー・バンドは3年目にして終焉を迎えたのである。


あれから40年余り…。サディスティック・ミカ・バンドやキャロルがリジェンドとして語り継がれているのに比べ、同時代のスペース・バンドについて語られることはあまりにも少ない。73~75年の日本ロック中興期における彼らの活躍ぶりを日比谷野音等で何度も目の当たりにした一人としては、とても残念だし寂しいものがある。つのだ氏の誕生日ということで、備忘録替わりに幻の「スペース・バンド」について記してみた。

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