2016年05月30日
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2016年05月30日
1971年11月、加藤和彦が妻のミカ、友人でドラマーのつのだひろと共に、お遊びのパーティー・バンドとして結成したサディスティック・ミカ・バンドは、、つのだと共にフライド・エッグに参加していたギタリストの高中正義を加えてレコーディングした「サイクリング・ブギ」で72年6月にデビュー。当初、バンドのメンバーは流動的だったが、やがて、加藤夫妻と高中の他、小原礼(ベース)、高橋幸宏(ドラムス)というメンバーが揃い(73年にキーボードの今井裕が参加)、本格的に活動を開始する。
翌73年3月頃、1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』のレコーディングを終えた彼らは、事務所のスタッフや加藤夫妻の友人で音楽評論家の今野雄二と共にロンドンで約1カ月に亘るバカンスを楽しむ。この時に今野の知人でロキシー・ミュージックの広報担当者サイモン・パックスレーから紹介されたのが、その後ミカ・バンドと親交を深めることになるクリス・トーマスだった。
王立音楽院でクラシックを学び、ジョージ・マーティンの助手としてビートルズの通称『ホワイト・アルバム』のプロデュースに関わったことからキャリアをスタートしたクリスは、プロコル・ハルムの『Home』(70年)、『Broken Barricades』(71年)といったアルバムでレコード・プロデューサーとしての実績を積み、ミカ・バンドと出会った時は、ちょうど彼が手がけた最新アルバム2作(プロコル・ハルム『Grand Hotel』とロキシー・ミュージック『For Your Pleasure』)のリリース直後であった。
72年5月のプロコル・ハルム来日公演(テン・イヤーズ・アフターとのジョイント)に同行したこともあるクリスは、日本のロック・バンドへの興味もあって、ミカ・バンドの音をぜひ聴いてみたいと加藤和彦にリクエスト。帰国後さっそく出来上がったばかりの1stアルバムをサイモンとクリスに送ったところ、二人共そのユニークなサウンドが気に入り、サイモンは私設応援団を買って出て音楽新聞やラジオDJたちにプロモーションを展開。これが功を奏して73年7月21日付の『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』誌でミカ・バンドの紹介記事が大きく掲載された。この記事が引き金となって英EMI傘下のハーヴェスト・レーベルより1stアルバムの英国発売も決定するのである。
クリスはプロデュースしたい意向をミカ・バンドの所属レコード会社である東芝EMIに伝えるが、まだフリーのレコード・プロデューサーが介在できる制作システムが確立されておらず、ましてや外国人によるプロデュースという前代未聞の事態に東芝EMIではひと悶着あったらしい。結局ゴーサインが出てクリスは来日。1974年2月18日から東京・溜池にあった東芝EMIスタジオでミカ・バンドの2ndアルバムのレコーディングがスタートするが、ここでも「前代未聞の事態」が続発する。
まずはスタジオは作品が完成するまで完全貸切状態で、部外者の立ち入りを一切禁止。録音したオリジナルのマルチ・トラック・テープにハサミを入れて編集する(当時の日本のレコード会社でこの行為は禁止されていた)など。これらは全てクリスの要望だったが、クリスとしては以前エンジニアとして参加したピンク・フロイドのアルバム『Dark Side Of The Moon』のレコーディングで体験したことを踏襲したまでである。
また、ジョージ・マーティンの「5人目のビートルズ」的プロデュース・スタイルに影響を受けていたクリスは、「7人目のミカ・バンド」として仕事に臨み、曲構成・アレンジの助言は勿論のこと、彼がこれまで培ってきたレコーディング・テクニックの数々…それはミカ・バンドはもちろん東芝EMIのスタッフもエンジニアも初めて目の当たりにするワザばかりだった…をメンバーたちに披露しながらアルバム作りを進めていった。
こうして450時間という、これまた前代未聞のレコーディング時間を費やして、今から42年前の今日1974年5月30日、幕末の黒船来航をモチーフに「東洋と西洋の出会い」をテーマとしたコンセプト・アルバム『黒船』は完成。先ず同年10月5日に、クリスが高中正義に何十回とギターをダビングさせて構築したヴェルヴェット・アンダーグラウンドmeetsフィル・スペクターといった風情の“Wall of Sound”が印象的な「タイムマシンにお願い」を先行シングル・カット。ひと月後の11月5日には “本体”がリリースされた。
日本ロック史上、かつてないスケールと完成度を示した傑作アルバム『黒船』は大きな反響を巻き起こし、75年2月には『Black Ship』のタイトルでキャピトル・レコードより全米発売。さらにハーヴェストより『Black Ship』とシングル「Suki Suki Suki(塀までひとっとび)」が英国・ヨーロッパでリリースされたことによって、海外でも高い評価を獲得。その後の彼らの海外マーケットへの進出に繋がっていった。そして現在もなお不朽の名盤として、その輝きは些かも衰えていないのである。
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