2016年08月09日
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2016年08月09日
歌手としては、岩谷時子&いずみたくコンビの作による「ベッドで煙草を吸わないで」を大ヒットさせた。女優としては、勇ましい姐御役を演じたテレビドラマ『プレイガール』がやはり代表作と言えるだろう。司会を務めた深夜のお色気ヴァラエティ『独占!おとなの時間』を思春期にこっそり見た覚えのある方も多いに違いない。常に頼りになる大人の女性というポジションで、印象に残る仕事を多数遺した沢たまきが急逝したのは2003年のこと。まだ66歳であった。90年代半ばからは政治活動に転じ、98年には参議院議員選挙に当選して国政に参与しており、これからの活躍の場も拓かれていた筈。早すぎる死が大いに惜しまれた。あれから早13年。8月9日は歌手で女優で政治家であった沢たまきの命日である。
学生時代、ラジオののど自慢番組で優勝したのがきっかけとなり、テイチクからジャズ歌手としてデビューを果たしたのは1956(昭和31)年で、その時点ではまだ10代だったことになる。この年にテイチクから歌手デビューというキャリアは石原裕次郎と一緒。実際、裕次郎とのカップリングによるシングルもある。当時はA面とB面で歌手の異なるシングルという型式は一般的だったから、決して珍しいケースではない。該当するものは2枚あり、いずれも57年のリリース。ひとつは裕次郎の「アナスタシア」と沢の「さらばジャマイカ」のカップリング、もうひとつは裕次郎の「追想(リコール・トゥ・マイ・メモリー)」と沢の「パンパラム」で、同時に出されたSPと7吋共に、現在では超プレミア盤として珍重されており、市場でも滅多に見かけることはない。2006年に中村俊夫氏が纏められたCD『コンプリート・テイチク・イヤーズ』も既に入手困難になっている様だ。この2曲のほかにも、「黄金の腕」や「フジヤマ・ママ」など、スタイリッシュなヴォーカルによる諸作品が収められている。
しかし、テイチク時代にヒットに至った曲はなく、歌手として大成するのは66年にビクターへ移籍してから。レパートリーの幅を広げ、洋楽カヴァーだけでなく歌謡曲系の作品に挑んだところ、移籍第1弾シングル「ベッドで煙草を吸わないで」が大きなヒットとなる。「ベッドで煙草はよくないわ」という邦題で知られるジャズのスタンダード・ナンバーもあるが、こちらは数々のヒット作を生んできた作詞家・岩谷時子と作曲家・いずみたくの名コンビによるオリジナル。実はカップリングの「教えて頂だい」がA面だったが、B面の方がヒットに至ったのだった。詞の内容も曲調も極めて大人向けの歌謡曲は以降も多くの歌手に歌い継がれてスタンダードとなっている傑作である。この一曲で、沢たまきという歌手のイメージは完全に確立したとおぼしく、その後も同系統の作品が連なってゆく。同年のアルバム『爪/沢たまき 夜のムードを唄う』の帯に刻まれた“真夜中の女王”というフレーズは正にその象徴。「ウナ・セラ・ディ東京」や「あいつ」「知りたくないの」などのカヴァーはいずれも彼女に非常にマッチしている。
女性ばかりの国際秘密保険調査チームの活躍が描かれた東映のアクションドラマ『プレイガール』が東京12チャンネル(現・テレビ東京)でスタートしたのは69年4月。沢はリーダーの“オネエ”こと沢村たまき役に抜擢され、男勝りのキャラクターがますます定着することになる。人気を受けて5年半にも亘って放映され、さらに『プレイガールQ』へと続いたシリーズは、沢の女優としての代表作となった。70年からの第2シリーズではエンディング・テーマに沢の「東京プレイ・マップ」が使用されてスマッシュ・ヒットに。同名のLPも作られている。東京の街をテーマになかにし礼が詞を書き下ろしたコンセプト・アルバムは、六本木「色っぽい街」、銀座「浮気心」、池袋「あんたふられたんだね」、浅草「口説かれてみたい」などと連なる12曲で、円熟したジャジーなヴォーカルが炸裂する。優れたアルバムである。
お色気が売りだった深夜の情報ヴァラエティ『独占!おとなの時間』の司会を務めた77年には、大橋巨泉司会の『クイズダービー』にも解答者としてレギュラー出演するなど、タレント活動も盛んにこなした。五月みどりから引き継いだ2代目の2枠席は次のうつみ宮土理へと受け継がれたが、その後の長山藍子や井森美幸よりも高い正解率を誇る。もちろん女優活動も続き、『土曜ワイド劇場』などの2時間ドラマにも頻繁に登場している。歌手活動では79年の映画『白昼の死角』の主題歌として、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド盤と競作となった「欲望の街」が印象深い。84年のシングル「雨のジャマイカ」を最後にレコーディングからは遠ざかってしまったが、没後の2004年に『沢たまき&プレイガール ミュージックコレクション』が出されたほか、ビクター時代のいくつかのアルバムもその後いくつかCD化された。見かけによらず、実は下戸であったという心優しい姐御の粋な歌声に、一度は触れてみて欲しい。
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