2016年10月16日
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2016年10月16日
「孤高のシンガーソングライター高山厳」というキャッチフレーズが昔、ある雑誌に掲載されていた。まさにそんな存在の人であった。
高山厳は1951年10月19日、大阪生まれ。1971年に「バンバン」をばんばひろふみらと結成しデビュー、あの名曲「いちご白書をもう一度」がメガヒットする直前に脱退している。
同年1975年7月1日「忘れません」でソロデビュー、8月21日に『この世には愛がなさすぎる』でファーストアルバムを発表している。
私が初めて彼を知るのもこの頃で「バンバン」も所属するヤングジャパン関連から「アリス」のオープニングアクトだった。多くの人が「心凍らせて」から彼を知ることになると思うがその演歌寄りの曲調ではないピアノの弾き語りにストレートな詞が一つ一つ私に響いた。
それから地元に来るライブは毎回通い、ピアノまたはギターだけの弾き語りは楽しみだった。多くのフォーク・アーチストのMCが重要なひとつの売りだったが、彼のライブはほとんど喋らない。曲の合間にぼそぼそと曲紹介をするくらい。
それがよけいにライブ会場の張りつめた緊張感を演出し彼の詞を届けるように思えた。
当時の彼のステージを観た人は、今の笑顔でインタビューを受ける姿には同一人物と思えないほどではないのか?
初めて観たライブの後にすぐアルバムを購入して一つまた別の発見があった。弾き語りとは違ったアレンジ、惣領泰則のオーソドックスだが高山の言葉を伝えるのにふさわしい、そしてフォークというジャンルに収まりきらない上質なPOPの仕上がりは、まさに孤高の存在であった。
惣領は「ブラウンライス」を結成しアメリカでデビュー、アレンジャーのドン・コスタの元でアレンジを学びエンゲルベルト・フンパーディンクのオープニングアクトなど務めた活動後に帰国しアレンジャーになり多くのアレンジ及び作曲を手掛ける。そんなドンの影響が高山のアルバムにも感じられる。
アリスのオープニングアクトの関係もあり堀内孝雄とも親しく、あの「遠くで汽笛を聞きながら」は高山の影響を受けて作られた作品と言ってもいいのではないか?
1981年「勇気を出して」発表してから彼の声を聞くことが少なくなり忘れかけて10年を過ぎた1992年、「心凍らせて」が初ヒット。堀内の後追いのようにニューアダルトミュージックとして初めて脚光を浴びる。全く予想外の展開にやっと売れて良かった、という反面個人的には演歌で売れるのは正直戸惑いがあった。
堀内の時も同様な思いはあったが高山の場合、惣領のアレンジ作品のそれとは大きなギャップがあった。高山の自作曲は良い作品は多くあったがキャッチーなヒットを狙える曲が少なく地味すぎる印象はぬぐえない。そんな曲が一曲でもあれば今とは違ったスタイルで活動していただろう。
最近は旧友ばんば、堀内らと「ブラザーズ5」を結成してフォークフィールドに帰ってきている。またデビュー当時のピアノ弾き語りライブを聴きたいものである。
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