2017年04月09日
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2017年04月09日
アリスのデビュー・シングル「走っておいで恋人よ」は、1972年3月5日に発売された。
アリス・サウンドといえば「チャンピオン」「冬の稲妻」など、男っぽいツイン・ヴォーカルのイメージが強いのだが、このデビュー曲は後期の彼等を感じさせない爽やかフォーク・サウンドであった。
初期の彼等の活動は事務所の多額の借金の事情もありアコースティック・ギター2本とコンガ等のパーカッションというスタイルでツアーに明け暮れる毎日であった。
フォーク・バンドにボンゴというスタイルは多少存在したが、コンガという編成は当時珍しかった。リーダー谷村新司がウッドストックでリッチー・ヘブンスのアコギとコンガという取り合わせのパフォーマンスを観て思いついたという。
矢沢透のパーカッションは初期のアリス・サウンドの要、それが彼等のスタイルであった。
そしてもう一つのパーカッション、一般的に知られていない楽器がタンバ、簡単に言えばタンバリンのすず(リング)の無い状態。正式にはチューナブル・タンバリンというそうだ。マイクに近づけ皮の部分を親指で押さえ叩くとバスドラの様な音が出る。アリスのライヴ・ヴァージョン「明日への讃歌」などで聴くことが出来る。
会場で聴くと会場全体が重低音、初めて聴く人はなぜあんな小さな楽器から迫力ある音が出るのだろうと驚く人も多い。矢沢の十八番の楽器のイメージがあるが実は”アリちゃん”こと松田幸一が谷村とのロック・キャンディーズ時代に始めたもの。ロッキャンのアルバム『讃美歌』に収録された「春は静かに通り過ぎていく」でアリちゃんのタンバを聴ける。
バック・バンドを付ける余裕もない時期、矢沢はドラマーでありながらドラムを叩けない心中はどんな思いだったのだろう。
フォーク・バンドから洋楽エッセンスを導入した2枚目「愛の光」辺りから初期アリス/
サウンドが確立される。ライヴのオープニングはいつもこの曲、矢沢のコンガが他のフォーク・バンドとは違うリズムスタイルを作っていた。アマチュアのロッキャン時代から実力が認められていたヴォーカル谷村、その谷村からプロに誘われた堀内孝雄もステージをこなし実力を付けアリス・サウンドのツイン・ヴォーカルが完成する。
1974年には年間303という考えられないライヴをこなして、地道な活動が徐々にファンを増やし「今はもうだれも」でやっと遅咲きのヒット。「冬の稲妻」の大ヒット以降はもう説明は必要は要らないであろう。またいつの日か、3人だけのステージを観てみたいものである。
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