2015年10月27日
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2015年10月27日
バンバンの「『いちご白書』をもう一度」がヒットしたのは、40年前の秋のことだった。作者はユーミン(荒井由実)である。
タイトルに出てくる『いちご白書』は1970年に公開されたアメリカ映画だ。ニュー・シネマと呼ばれた作品のひとつで、60年代のニューヨークのコロンビア大学の学園闘争をモデルにして作られた。政治に関心のなかった学生が、学生運動に熱心な女子学生の気を引こうとしているうちに、次第に運動に巻きこまれていくという物語が、エピソードの積み重ねで描かれている。こういう物語が学園映画として成立するくらい、実際にこういう学生がたくさんいたということだろう。
映画の中では音楽が実に効果的に使われている。学生たちが警察の取り囲む建物にたてこもって、静かに過ごす夜景に、ニール・ヤングの「ヘルプレス」が流れるところなど、忘れがたい場面のひとつだ。
さて、バンバンの歌に登場するカップルは、何年か前に、この映画を二人で観に行ったことがある、という設定になっている。
そのころの主人公は長髪で、何度か学生集会に参加したこともある学生だった。ガール・フレンドもこの映画を観て涙ぐんでいた、とあるから、二人がそれぞれぞれの立場で学生運動に共鳴していたことはまちがいない。
しかし主人公は、就職が決まると髪の毛を切る。当時は長髪が大人の社会への若者の反抗の記号とされていたから、これは主人公が考え方を変えたことを意味する。
一方、映画は非暴力で抵抗する学生たちが警官隊に建物から排除されはじめるところで終わっていた。歌とは末尾のニュアンスが異なる。
日米の状況は同じ土俵ではくらべられないとはいえ、学生運動にはパラレルな部分もあった。このニュアンスのちがいが映画の舞台と歌の舞台の間の歳月の流れを感じさせる。
細かなことを言うと、髪を切る順番は、就職が決まる前、面接のとき、すでに切っていたのではないかと思うが、それはまあ重箱の隅ということで。
作者のユーミンはもちろんこの映画を観たことがあったから、こういう歌を作った。彼女が作って、ハイ・ファイ・セットでヒットした「卒業写真」や、GAROの「学生街の喫茶店」(この曲は山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲)も同じ時代背景から生まれた歌だ。
バンバンの曲は、70年代ウエスト・コースト・ロック風の演奏だが、フォーク・グループがうたう前提で作られているので、ユーミンの曲にしてはフォーク色の強いメロディでうたわれている。
この歌は後に彼女自身もレコーディングしている。また、バンバンのこの歌と同時期にヒットした彼女の「あの日に帰りたい」の「あの日」も、夢を追いかけていた学生時代を連想させなくはないと思う。ま、これはその時代の変化を体験しながら聞いていたぼくの勝手な解釈だが。
この歌を聞いていると、何年か後にSEALSの運動をもとにした歌が誰かによって作られたり、うたわれたりすることがあるのだろうか、と思ったりもする。
写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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