2015年11月02日
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2015年11月02日
本日11月2日は杉田二郎の誕生日である。
杉田二郎といえば、はしだのりひことシューベルツの「風」、ジローズ時代の「戦争を知らない子供たち」、ソロになってからの「男どうし」「ANAK(息子)」といった曲がよく知られている。
近年はさすがに低めのキーで歌っているが、かつての彼は高音もきれいに出るドライな歌声と、フォーク・シンガーにしては男ぽい風貌が持味だった。その存在感は、いまも変わらない。
関西を中心に、彼の存在がフォーク・ファンに知られるようになったのは、第一次ジローズの「あなただけに」がヒットしたころからだった。ジローズは彼と塩見大治郎、細原徹次郎の3人が結成していた学生のフォーク・グループで、グループ名は、3人の名前に「ジロー」が含まれていたことにちなんでつけられた。ちなみに「戦争を知らない子供たち」をうたったのは、このメンバーと違い、70年代に入ってからの第二次ジローズの時期のことだ。
「あなただけに」がMBCラジオの番組で紹介された1968年ごろ、京阪神のフォークの動きは「関西フォーク」と呼ばれはじめていた。「カレッジ・フォーク」というキャッチ・コピーで紹介されていたそれまでの東京の学生のフォークには、ポップで洗練された音楽への志向が強かったのにくらべ、「関西フォーク」には、「メッセージ・ソング」への志向が強いというイメージがあった。
しかし「関西フォーク」が「メッセージ・ソング」一色だったわけではない。その中にあって、ジローズは「カレッジ・フォーク」的な音楽をやっているグループの代表格だった。それでもジローズというような名前のつけ方は、英語名を名乗っていた東京の「カレッジ・フォーク」とちがって、やはり関西ならではだったという気がする。
当時の「関西フォーク」の動きのひとつに大阪の森小路教会で定期的に行われていた「フォーク・スクール」があった。主な世話人は、その教会の村田拓牧師と詩人の片桐ユズルさんたちだった。そこではフォーク・シンガーとファンが一緒になって、新曲を発表したり、一緒にうたったり、話し合ったりしていた。
ぼくも一度だけファンとして足を運んだことがあるが、そのときは西岡たかし(五つの赤い風船)と中川五郎が主にうたっていた。
その日の会場には、杉田二郎も来ていた。オブザーバーとしての参加だったので、歌はうたわなかったが、主催者にうながされて少しだけしゃべった。たしか、自分はメッセージ色の強い歌をうたってないが、今日の歌を聴いて、いろいろ考えさせられた、というような意味のことをまじめにしゃべっていた。
しかしそれ以上に印象に残ったのは、立ち姿の存在感だった。彼はまだ学生で、プロの歌手になるのかどうか、フォークをうたい続けていくかどうか、決めていなかったと思うが、そこにいるだけで、ステージに立つ人としての資質を十分に感じさせた。それはスターになりうる人としての色気を持っていたと言いかえてもいいだろう。それにくらべると、メッセージ色のある歌をうたうかどうかは、ある意味、別の次元の話だった。そしてシューベルツ以降、彼はその資質をどんどん伸ばしていったのである。
最近(2015年秋)、通販生活のCMで「戦争を知らない子供たち」が使われて、あらためて話題を呼んでいる。この歌は、はじめにメッセージありきでないメッセージ・ソングなところが杉田二郎らしい。そしてまたこの歌が時と所を超えて愛されてきた理由もそこにあるような気がする。
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