2017年12月26日
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2017年12月26日
音楽プロデューサーのフィル・スペクターが本日77歳の誕生日を収監中のカリフォルニア州立刑務所で迎えた。
女優のラナ・クラークソンを射殺し第2級殺人罪で2009年に収監されてから8年が経ったわけだ。
他、フィル・スペクターの基本情報に関しては当サイトのこちらの記事をご参照いただきたい。「大人のMusic Calendar」2016年12月26日コラム:「12月26日は“ウォール・オブ・サウンド”の生みの親、フィル・スペクターの誕生日」
さて、そんなフィル・スペクターだがザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』をプロデュースしたことはあまりにも有名だ。
バンド初期の一発録りに立ち返り、「原点に戻ろう」というコンセプトで製作が開始された本盤は、メンバー同士の不仲によってそれが頓挫した。
お遊び的なリハや、即興演奏、没テイクなど、大量のセッション音源が残されたが、それらを鑑賞に耐えうるアルバムに仕上げるために当初エンジニアのグリン・ジョンズによって編纂、編集された。それがアルバム『ゲット・バック』だ。
元々の演奏の悪さ故か、テイクの選定ミス故か制作は難航。アルバム『ゲット・バック』は二度も没を出され結局未発表アルバムとなってしまう。
ザ・ビートルズもその間に次作『アビイ・ロード』の制作に入り、『ゲット・バック』を放棄してしまう。
だが契約上アルバム発売の必要があったため、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンはプロデュースをフィル・スペクターに一任、アルバムタイトルも『レット・イット・ビー』に変更、ザ・ビートルズ最後のアルバムとして1970年5月8日に発売された。
とかく本盤はフィル・スペクターによるオーヴァー・プロデュース(自身の「ウォール・オブ・サウンド」をザ・ビートルズに適用、過度にオーケストラ、女性コーラスを重ねる)が議論の対象になっている。
収録曲「ロング・アンド・ワインディング・ロード」でのそれは作曲者ポール・マッカートニーの怒りを買い、公に名指しで非難されるほどに。
それも当然、当初のザ・ビートルズの目的は「原点に戻ったシンプルなバンドサウンド」だったのだ。外部セッション・ミュージシャンを大量投入するフィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」とは対極のものだ。
だが私から見ればこの『レット・イット・ビー』のプロデュースに関してフィル・スペクターは適切かつ冷静な、一歩下がった大人な対応、仕事をしたように思えてならない。
まずフィル・スペクターがオーケストラを重ねたのは全12曲中「アクロス・ザ・ユニバース」、「アイ・ミー・マイン」、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の3曲のみ。
他の曲はほぼ当初のバンドサウンドのままでの仕上がり。当時のザ・ビートルズ+ビリー・プレストンの魅力が満載だ(そしてテイクもいい)。
本来のフィル・スペクターなら全曲にオーケストラやエコーを重ねていてもおかしくない。スペクターらしからぬ一歩引いた大人な対応と言える。
続いて「ロング・アンド・ワインディング・ロード」問題。
後に『レット・イット・ビー...ネイキッド』で公式発表されたオーケストラを除いたバージョンは、確かにシンプルなバンドサウンドではあるが、曲そのものの旨味を最大限に引き出しているとは言えない。ナチュラルな良さはあるが演奏の薄さが随所で気になる勿体無い仕上がりだ。
当初のアルバムのコンセプト通りではあるが、結果その判断は曲のためになっていない。
そこへいくとフィル・スペクター版の方が遥かに完成度が高く、この曲の持つ「圧倒的なスタンダード名曲感」を存分に引き出している。
悪い意味でザ・ビートルズの持つ「みんなの、お茶の間の、スタンダードなビートルズ感」を助長するアレンジであり、「バンド・ビートルズ」を一切感じさせない、ディープなファンには愛されない出来ではあるが、曲そのもののためには正解と言える。この曲の後に来るのが「フォー・ユー・ブルー」というのも素晴らしい。いい緩急がついている。
自身のバンドの人間関係悪化でアルバム制作そのものを放棄しておきながら、鑑賞に耐えうる一枚の作品(しかも大ヒット作)として仕上げたフィル・スペクターに対してポール・マッカートニーの発言は不適切と言わざるを得ない(が、その気持ちはとてもわかる)。
「アイ・ミー・マイン」でのフィル・スペクターによるオーケストレーションは本盤に於けるベストトラックと言える。曲の良さを引き出しつつ自身の作家性も反映させており、非常にバランスの良い出来だ。
オーケストラを重ねたのは「フィル・スペクターがプロデュースした」という足跡、爪痕だ。
フィル・スペクターの【ザ・ビートルズをプロデュースしてみた】である。
当初の『ゲット・バック(原点に戻ろう)』的路線ならスペクターがプロデュースする意味がない。
そういう意味でもバンドとしての魅力そのままの曲達と、スペクター・オーケストラ重ね曲が混在するのは、うまい折衷案であると言える。が、一方で「一貫性のない中途半端なアルバム」と言われるのも仕方がない。歯がゆい。
その中途半端さを解消する一案として『フィル・スペクター完全プロデュース版レット・イット・ビー』というのはどうだろうか。
前述したが本来のフィル・スペクターなら全曲にオーケストラやエコーを重ね「完全に自分の作品」にしていてもおかしくない。それが我々の愛するフィル・スペクターだ。
オーケストラを重ねられずに済んだ曲も全てウォール・オブ・サウンドに塗り替えるのだ。ザ・ビートルズの演奏はこの際消してもよい。完全にスペクターの好きなようにさせてみる...きっと新たな地獄が始まるだろう。
フィル・スペクターの残り刑期は11年。2028年には88歳の狂気の音楽プロデューサーがまた野に解き放たれる。その時がチャンスだ。
≪著者略歴≫
平川雄一(ひらかわ・ゆういち): ミュージシャン。バンド『ザ・ペンフレンドクラブ』リーダー。漫画家、イラストレーター、音楽文筆家。音楽レーベル『ペンパルレコード』代表。ザ・ペンフレンドクラブ録音盤、ビーチ・ボーイズ『AN AMERICAN BAND』DVD装丁やライナーノーツなど作品多数。
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