2016年12月05日
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2016年12月05日
ベンチャーズの人気を中心にエレキ・ブームが世を席巻していた1965年の暮れ、ブームを象徴するプログラムピクチャーが封切られた。東宝のドル箱映画となっていた<若大将シリーズ>の第6作目にあたる、タイトルもズバリ『エレキの若大将』である。その主題歌となったのが、加山雄三の歌手としての代表作となる「君といつまでも」であった。映画の公開より2週間前に先行してリリースされたシングルは翌年にかけて大ヒットを記録し、1966年の加山雄三ブームが訪れる。65年12月5日に「君といつまでも」のレコードが発売されてから51年になる。
加山雄三の歌手デビューはかなり遡って、1961年のことであった。この年に流行したドドンパリズムが導入され、若大将シリーズの第1作『大学の若大将』の挿入歌となった「夜の太陽」と、同主題歌「大学の若大将」のカップリング。さらに翌年にかけて「みんな聞いてる青春/(B面は別歌手)」、「日本一の若大将/一人ぼっちの恋」と発表されたシングルは、いずれも他人からの提供曲。加山が弾厚作のペンネームで自ら作曲したレコードは65年6月に発売された4枚目のシングル「恋は紅いバラ/君が好きだから」が最初である。同曲はもともと英語詞の「DEDICATED」として学生時代に作られていたものが63年公開の映画『ハワイの若大将』で採用され、さらに65年8月公開の映画『海の若大将』では岩谷時子による日本語詞を得て主題歌となりヒットに至る。そこで作曲家・弾厚作が籍を置いた渡辺音楽出版の親会社、渡辺プロダクションの社長・渡邊晋から「恋は紅いバラと同じ様な、もっといい曲を1週間以内に書いてくれ」と注文を受けて作られたのが、やはり三連のロッカバラードでコード進行も非常によく似た「君といつまでも」であったのだ。いわば「恋は紅いバラ」と「君といつまでも」は姉妹作といえる。ついでにそれぞれのB面曲「君が好きだから」と「夜空の星」も共に寺内タケシとブルー・ジーンズが演奏を務めた同系統のエレキ・ナンバーである。
「君といつまでも」は仕事で訪れていた大阪で録音された。かつて吹田市の千里丘にあった毎日放送のラジオ第一スタジオでレコーディングが行われたという。ストリングスの素晴らしい音色が施された森岡賢一郎のアレンジ、美しい言葉遣いの岩谷時子の詞を目の当たりにした加山が思わず漏らした「幸せだなぁ」の台詞が、間奏部分にアドリブで採り入れられたというエピソードは有名だが、「恋は紅いバラ」にも間奏の台詞があったことから、同じ様なバラードの「君といつまでも」にも台詞の導入が想定されていたことは想像に難くない。その言葉の選択が加山の素直な気持ちの吐露になったということだろう。この形式は加山が敬愛していたエルヴィス・プレスリーのナンバーに倣ったものだった筈だ。それにしてもイントロから響き渡る弦の独特の美しい奏では筆舌に尽くしがたい。岩谷の詞、弾(加山)の曲はもちろんのこと、「君といつまでも」が歌謡史に残るエヴァーグリーンとして輝き続けているのは、森岡の秀逸なアレンジ力によるところが大きいと思われる。伊東ゆかり「恋のしずく」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」等々、その作品の数は厖大である。66年の第8回日本レコード大賞では、本曲と園まり「逢いたくて逢いたくて」で編曲賞を受賞している。そして岩谷時子も同じく対象の2曲により作詞賞を受賞した。
66年のレコード大賞候補だった「君といつまでも」がグランプリとして本命視されながらも、特別賞という枠に留まったのは、加山の本業が俳優というのが大きかったと言われている。業界的な見方をすれば、所属元の東芝レコードがそこまで賞獲りに熱心でなかったということになるだろうか。しかしながら結局大賞を獲った橋幸夫の「霧氷」がそこまで大きなヒットの印象が無かったせいか、運営の姿勢が問われる形となってしまった。橋のノミネート曲は同じ作家陣による「雨の中の二人」とすべきであったことは、橋自身も後に語っている。いわば苦肉の策として特設された特別賞を、加山が大人の対応で素直に受け止めたことは称賛に値する。「君といつまでも」のシングル売上げ枚数は200万枚とも300万枚ともいわれるが、まだオリコンチャートのない時代、実数は定かでない。しかしとにかく超特大ヒットだったことは間違いなく、続いて66年にリリースされた「夕陽は赤く/蒼い星くず」「お嫁においで」「霧雨の舗道」「夜空を仰いで/旅人よ」も爆発的なヒットを記録する。ビートルズ来日の年は加山雄三ブームの年でもあったのだ。『エレキの若大将』の次作となった『アルプスの若大将』の中でも「君といつまでも」を歌うシーンがある。
加山には「君といつまでも」と同時発売されたシングルがあることをご存知だろうか。いずれもエレキ・インストのナンバー「ブラック・サンド・ビーチ」と「ヴァイオレット・スカイ」のカップリングで、加山雄三とザ・ランチャーズ名義によるもの。加山の歌声が入っていないため、女性ファンこそ飛びつかなかったかもしれないが、エレキギター好きにとっては嬉しいシングルだったに違いない。ベンチャーズの一連のヒットナンバーと並べても全く遜色ない加山オリジナルの名インストは、「君といつまでも」と同様に今もコンサートでは必ずと言っていいほどに披露されるお馴染みのナンバーである。
アンコールで歌われることも多い「君といつまでも」、最近のコンサートでは加山の呼びかけであえて自分は歌わずに客席を扇動し、満員の観客による合唱に耳を傾けて感慨に耽るシーンがあった。その時、珍しく加山の頬を伝う涙をファンは見逃さなかった。作曲家冥利に尽きるであろう至福の光景が繰り広げられた瞬間、万人に愛され続けている「君といつまでも」は紛れもなく歌手・加山雄三の最高傑作なのだと実感させられたのだった。
≪著者略歴≫
鈴木 啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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