2017年02月06日
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2017年02月06日
きっかけは多分、エリック・クラプトンだろう。彼が名盤『461オーシャン・ブールヴァード』(74年)でボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を取り上げただけでなく、それをシングル・カットしたところ、アルバム共々全米No.1を記録。現在までのところ、クラプトンにとってそのシングルはキャリア唯一の全米No.1ソングでもある。
レゲエ・ファンを除くと、このクラプトンのヒットがある以前からボブ・マーリーを知っていたファン、さらにレゲエに興味を持っていたファンはさほど多くなかった、と思う。事実、62年からロバート・マーリーの名で活動をしていた彼だが、ボブ・マーリーおよび彼を軸とするウェイラーズのアルバムがアメリカ、イギリスでヒットし始めるのは75年の『ナッティ・ドレッド』(米・第92位、英・第43位)以降のこと。
それまではジャマイカの音楽であるレゲエと言えば、彼よりもデスモンド・デッカーやジミー・クリフらの名前が先に挙がっていたし、英米のアーティストではビートルズやポール・サイモン、ジョニー・ナッシュらがレゲエの存在を教えてくれた。
J・ナッシュがボブ・マーリーの「スター・イット・アップ」をヒットさせた時(73年/米・第12位)はさほどの盛り上がりを見せなかったが、クラプトンによってボブ・マーリーが知れわたると、一気にレゲエ熱が高まり、ついにはアメリカ西海岸のイーグルスが名曲「ホテル・カリフォルニア」(77年/米・第1位)でレゲエのリズムを取り入れたり、イギリスからはその影響を強く受けたポリスのようなグループが登場してきたりする。
ボブ・マーリーは本名をロバート・ネスタ・マーリーと言って、1945年2月6日、ジャマイカのセント・アン教区ローデン・ホールに生まれた。先に記したように、まずはソロ歌手としてデビューし、63年からはバニー・ウェイラーやピーター・トッシュらとウェイリン・ウェイラーズを組み(後にウェイラーズと短縮)、本国では71年末の「トレンチタウン・ロック」で揺るぎない地位を築く。72年には世界を見据えてアイランドと契約。アルバム『キャッチ・ア・ファイアー』(73年/米・第171位)、『バーニン』(73年/米・第151位)でタイトル通り、人気に火が付いたと書きたいところだが、この2作は75年以降にヒットしたもので、76年の『ラスタマン・ヴァイブレーション』(米・第8位、英・第15位)でピークを迎える。
これはレゲエの特徴でもあるのだが、彼の歌は単なるラヴ・ソングだけでなく、弱い者の立場に立った政治的、社会的なメッセージを含んだものが少なくない。さらに、彼の場合は本国での選挙に絡んでいたりしたこともあり、76年12月に自宅に侵入してきた男たちに狙撃されて負傷。一時、フロリダ州マイアミに移り住んでいたこともあるのだが、まさかの思いで1981年5月11日の死去を知らされる。死因はがんで、まだ36歳だった。
その後、息子のジギーらが活躍する中、94年にロックの殿堂入り。また、2017年1月14日付け現在の全米チャートにおいて、彼の『レジェンド~ザ・ベスト・オブ・ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ』(84年/米・第54位)は歴代第4位となる450週もエントリーされているロング・セラーで、アメリカだけで1500万枚以上を売り上げているベスト・セラーでもある。
思えば、英米での活動はさほど長くなかったけれども、これこそボブ・マーリーとレゲエが広く認知され、高く評価されている、ひとつの証しだろう。
≪著者略歴≫
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