2017年01月20日
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2017年01月20日
「愛を止めないで」は1979年の本日、1月20日にリリ-スされたオフコ-スの15枚目のシングルである。ディスコグラフィ的なデ-タでいえば、アルバム『Three and Two』からの先行シングルとして世に出たものだ。
しかしこの曲は、再発も多い。92年の11月に三菱自動車のCFソングとなったことで再び脚光を浴び、さらに95年11月にも、アサヒのCMソングに起用され、そしてそして記憶に新しいのが、昨年、フジテレビ系のドラマ『OUR HOUSE』の主題歌になったことである。話題のドラマの主題歌が彼らの往年の名曲だったというのは非常に注目すべきことだった。この曲の、さらにはオフコ-スの、人気の根強さを印象づけたのだ。
ところでアルバム『Three and Two』といえば、オフコ-スが正式に5人組のバンドへと発展を遂げた時期である。そもそもこのタイトルからして、清水・松尾・大間という新加入の三人と、オリジナルメンバ-である小田・鈴木とがひとつになったことを意味した。しかもそれは、形式的なことだけじゃなくて、実質的なことだった。彼らの思うバンド・サウンドが、ライヴという場だけでなく、スタジオの音作りにおいてもひとつの結論に達しつつあった時期だったのである。それはもちろん、先行シングルの「愛を止めないで」にも言えることだろう。
その音作りとは、小田と鈴木が理数系の大学出身だからというわけじゃないが、サウンドをエンジニアリングする手法、だったと思うのだ。つまり、ドラムやベ-スの鳴り方や、それらとギタ-や歌との相関関係、などなどを、予め描いていた完成予想図を目指し、パ-ツごとに吟味していく考え方だ(そう。まさにこれがエイジニアリング、ということである)。結果、そこに鳴り響くのは明確なアンサンブルであり、サウンドが整理出来たことの相乗効果として、歌も聴き取りやすいものになっていったハズである。
世間の評価はどうだったのだろうか。「愛を止めないで」はチャ-トの最高位31位、売り上げは10万弱という、彼らが大きく羽ばたく予兆となる。つまり“スマッシュ・ヒット”であった(知名度を上げるのに十分なだけの数字を残すことを、当時、業界ではそう呼んだ)。なおアルバムのほうはチャ-トの2位となり、こちらは正真正銘、ヒットとなった。
改めて作品を聴いてみよう。シンセのオ-ヴァチュア的な音がフェイドインしてきて、オブスキュアな気分があたりに立ちこめたかと思いきや、輪郭確かな小田のピアノ弾き語りの歌声→やさしくしないでが、非常にクッキリ聴こえてくる。そこからアレンジが発展し、まずエレキ・ギタ-が加わって、さらに別のギタ-が重なり広がり飛翔していく。そして次の瞬間、それらを支える大地のように、リズム隊が躍動し始めるのだ。こちらの胸はさらに高鳴り、気づくと“愛を止めないで”という、サビの“高み”へと誘(いざな)われているのだった。その間、なんの突っかかりも感じず気分はひたすら拓いていき、無理なく心と体は、気づけばそこまで運ばれている。この充足感たるや、まさに所謂ひとつの典型的な音楽マジックであり、ハンパない快楽を聴き手に与えるのだった。
間奏を飾るツイン・ギタ-のサウンドは、ウェストコ-スト・ロックに強く影響されたこのバンドらしい、伸びやかな中に乾いた響きのものである。でも以前、僕は小田に、「この感じ、イ-グルスというよりボストンぽいですよねぇ?」と訊ねたら、小田は「確かに(ギタ-を)書き譜でハモってアドリブではない感覚はそうかもな」と答えてくれた。みなさんの耳には、どう聴こえるのだろうか。
歌詞に関しては、そもそも小田は、当初、「“愛を止めて”みたいな歌だった」と回想しているが、残念ながらこの話を細かく説明するスペ-スはない。さらにこの作品といえば、“いきなり君を抱きしめる”というところが当時のオフコ-ス・ファンから“らしくない”という反発を買ったエピソ-ドが有名だ。澄んだ歌声のハ-モニ-が信条で、そこから清廉潔白というイメ-ジもあったオフコ-スからすると、この歌の主人公のこうした大胆な行動原理は「お下劣」だと思われたのだ。ただ、“らしくない”という言葉は、“らしさ”という認知が存在するからこそのものでもある。機は熟しつつあったのだ。彼らが名実ともにブレイクを果たすあの名曲「さよなら」のイントロが鳴り響くのは、「愛を止めないで」が評判になった、そのすぐあとのことなのである。
≪著者略歴≫
小貫信昭(おぬき・のぶあき):1957年東京生まれ。1980年、『ミュージック・マガジン』を皮切りに音楽について文章を書き始め、音楽評論家として30年のキャリアを持つ。アーティスト関連書籍に小田和正、槇原敬之、Mr.Children、森高千里などのものがあり、また、J-POP歌詞を分析した「歌のなかの言葉の魔法」、自らピアノに挑戦した『45歳、ピアノ・レッスン!-実践レポート僕の「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで』などを発表。
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