2015年04月30日
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2015年04月30日
ポール・マッカートニーが半世紀ぶりの武道館公演の余韻を残して日本を去った。ビートルズがコンサートを開いて以来、この聖地で演奏することはバンドにとっての目標となってきた。その武道館の「初モノ」は数々あるが、30年前、武道館で10日間コンサートという記録を成功させたバンドがいる。小田和正、鈴木康博を中心としたオフコースである。
その現場、また当時のオフコースを取り巻く環境はどんな状況であっただろうか。
1982年の6月に、オフコ-スは武道館で10日間のコンサ-トを開催した。僕は取材で3日間だけ観ることが出来たが、あの時のただならぬ雰囲気は、いまでも鮮明に覚えている。彼らには解散の噂があった。
当時、このコンサ-トを観たければ往復はがきを出す必要があった。結果、52万通にも達し、もしメンバ-の体力が無尽蔵なら、一ヶ月以上まるまる武道館で公演が可能なほどの総数だった。僕は講談社の『ビッグ・ミュ-ジック』という雑誌の記者として、公演のみならず、周辺取材もやっていた。抽選する前に一室に堆く積み上げられたはがきを見学に行った。確かその時の写真も残っているはずだ。
コンサ-トそのものに関しては、最終日の模様がいまでもDVDで手に入るので、そこに真実があるのだろう。あれから30年以上が経過して、細かいことは忘れてしまったけれど、一番覚えているのは、「言葉にできない」の時のひまわりの映像だ。まあ、これは今でもオフコ-ス・ファンの語りぐさだろう。
でも、それ以上に覚えているのはPAの音質である。82年前後といえば、けっこうな数の外タレを武道館で観ていたけど、オフコ-スのPAは実に特徴的だった。音がデカくてくっきり明快。これは彼らを取り巻く環境が巨大化していく中で、“バンドっぽさ”をより明確に伝えるための一貫でもあったそうだ(メンバ-それぞれの楽器が存在感あるものとして伝わること、すなわちそれが“バンドっぽさ”が伝える、という考え方)。
後年、小田和正に取材で会うようになって、武道館の10日間に関して訊ねるチャンスがあった。その時、彼はこう言った。「応募が52万通届いたとか、そんな話も聞いたけど、でも、これはやる前からすべて満員になる“勝ち”だったんだ」。実にク-ルなこの発言が彼らしい。そして、解散の噂があったオフコ-スは、鈴木康博が抜けただけで、4人で再出発することになる。このあたりの詳細は、『小田和正ヒストリ- YES-NO』(角川文庫)に詳しく書いたので、どこかで探して読んで頂けたら幸いである。
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