2017年08月03日
スポンサーリンク
2017年08月03日
本日は、1981年にサザンオールスターズの『ステレオ太陽族』がオリコンのアルバムチャート1位を獲得した日となる。
CDなどの音楽作品は、メインのアーティストに加えて、作詞作曲編曲演奏などに、多くの専門スキルを持つミュージシャンが協力して作り上げる。とりわけ、リスペクトと愛と才能に溢れた、気のおけない音楽仲間たちを、人呼んで、「パープー仲間」という。
2017年現在、サザンオールスターズのパープー仲間たち。レコーディングやライブにおいて、サザンを支えるすご腕ミュージシャンたち。斎藤誠、片山敦夫、島健、金原千恵子、その他。
サザンにとってのパープー仲間とは、まるで、往来の激しい横浜港で、数十万トンの大型タンカーに寄り添う数十トンのタグボートのように、大出力のエンジンを抱えて、案内役、エスコート役、押したり引いたり、ミズスマシのように前後左右に動き回る、大事なかけがえのない、気心知れた音楽仲間である。
1980年前半には、1978年のデビュー以来、走り続けてきた音楽&芸能活動に休符を打って、6ヶ月間の対外活動の休止期間を設け、レコーディングに専念して、5Rock Showと称し、「涙のアベニュー」「恋するマンスリーデイ」「いなせなロコモーション」「ジャズマン」「わすれじのレイドバック」と、タイプの異なる5枚のシングルを発表した。
この期間に得たレコーディングのノウハウ習得と音楽的スキルアップは、その後のスタジオワークで大きく花開くことになる。1980年後半には原由子の初ソロアルバム『はらゆうこが語るひととき』を桑田佳祐プロデュースで制作。実り多い助走期間を経て、翌1981年初頭、サザンの新作アルバム制作がスタートした。
4枚目のアルバム『ステレオ太陽族』の6曲目「我らパープー仲間」に歌われているように、サザンがとびきりのパープー仲間と出会ったのはこの時期である。
それまでも、レコーディングにおいて、特にストリングスやブラスの編曲などでサザンをアシストした先輩ミュージシャンは多いが、この時期に、友人知人の紹介を繰り返したあげく、急激に膨れ上がった、より新しいサウンド作りへの欲求を求めて出会ったのは八木正生であった。
ジャズピアニスト、八木正生。日本のセロニアスモンクとの異名をとり、自己のジャズグループでの演奏活動はもとより、ネスカフェゴールドブレンド、網走番外地、あしたのジョー、など、きらめくようなCMやポップスの世界でも幅広く名声をものにしていた、今や伝説の名ジャズピアニストである。
24歳違いの八木正生と桑田佳祐。八木正生とサザンとのスタジオでの初対面は、そんな年齢差を感じさせないような、不思議にも気さくな音楽話しから始まった。いろんな話が弾む中で、フランクシナトラとの相棒アレンジャー、ゴードンジェンキンスの音楽作りの話題があった。八木さんがレコードをかけながら話し、すごく興味津々に反応していたのを思い出す。音楽の師弟関係、いやいやまるで親子関係のように、親密に真剣に自然に、打ち合わせが始まっていた。
八木正生がサザンのレコーディングのためにスタジオに招いたストリングス、ブラス、コーラス、数多くの有名ジャズミュージシャンの演奏は、サザンオールスターズの演奏に花を添えて、新しいサウンドをプラスして、一曲ずつがキラキラと完成していったのが、このRock&Jazzアルバム『ステレオ太陽族』である。サザンのメンバーと八木正生の、まさに、きわめつけの、サザンとパープー仲間の出会いの共同制作が完成した。
1980年前半の5Rock Show以来、先行シングル「Big Star Blues」とリカットシングル「栞のテーマ」に挟まれて、1981年7月21日、サザンオールスターズ4枚目のアルバム『ステレオ太陽族』、発表。サザンのメンバー20代なかばのRock&Jazzアルバムである。そして翌1982年1月、大ヒットシングル「チャコの海岸物語」を発表。
2月、桑田佳祐は原由子と結婚。1980年から1982年の3年間は、『ステレオ太陽族』を中心軸に、サザンオールスターズが、音楽面でも人間としても、まさに公私ともに、大きく進化し、変化した期間だった。
とびきりの「パープー仲間」とサザンが出会った時期だったのである。
ステレオ太陽族=我らパープー仲間=ジャケットのシュールなセイラー服と学ラン!!
≪著者略歴≫
1988年の7月18日は、今年サザンオールスターズでデビュー40周年イヤーに突入した桑田佳祐のファーストソロアルバム『Keisuke Kuwata』がオリコンアルバムチャートで1位に輝いた日だ。...
1974年4月、青山学院大学の銀杏並木は、各サークルがブースを並べ、新入生の勧誘で賑わっていた。何故か、桑田佳祐が足を止めたのは、部室も無く、同好会としても学校からは認められていない小さなサーク...
9月22日は、ラッツ&スターのリーダーであり、現在はソロシンガーとしても30年以上のキャリアを有する、マーチンこと鈴木雅之の誕生日である。61歳となる氏の、男の色気溢れるヴォーカルはますます健在...
1979年8月4、5日の2日間、江ノ島の橋を渡った、今は駐車場となっているヨットハーバー横の空き地でJapan Jamが開催された。海外からBeach Boys、Heart、Fire Fall、...
1984年8月2日、小泉今日子の10作目のシングル「迷宮のアンドローラ」がTBS『ザ・ベストテン』で1位を獲得した。「迷宮のアンドローラ」は同年6月21日の発売で、7月2日付のオリコン・チャート...
本日、1月1日は日本を代表するフュージョンバンド:カシオペア(現:CASIOPEA 3rd)のリーダー、野呂一生の誕生日。60歳の還暦を迎えた。1957年、東京都目黒区生まれ。“一生”の名は、ま...
1988年10月31日、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』がオリコン・アルバムチャートの1位を獲得。「僕の中の少年、いいタイトルだ」と山下の師匠筋にあたる大滝詠一は、惜しげもなく讃辞した。常に山...
1985年8月末、青山ビクタースタジオにてサザンオールスターズ、8枚目のアルバム『KAMAKURA』の6ヶ月続いたレコーディングが終わった。この時期のサザンは、レコーディング以前の綿密な打ち合わ...
今から30年前の1986年8月18日は、KUWATA BANDの「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」が、オリコンチャートにおいて1位を記録した日だった。KUWATA BANDは、サザ...
1980年、FM東京「パイオニア サウンド・アプローチ」で山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐、世良公則、ダディ竹千代という豪華メンバーによる竹野屋セントラルヒーティングが結成された。今回のコラムは当...