2017年08月04日
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2017年08月04日
1979年8月4、5日の2日間、当時は、子供連れの家族で賑わう、神奈川県の海水浴スポットとして人気の江ノ島の橋を渡った、今は駐車場となっているヨットハーバー横の空き地でJapan Jamが開催された。
今でこそ海外アーティストの出演するロック・フェスティバルは珍しいものではなくなったが、当時は、日本のアーティストによる中津川フォーク・ジャンボリーや、ピンク・フロイドが参加した「箱根アフロディーテ」などが開催されていたが、まだまだ、頻繁ではなかった。そんな中で海外から、Beach Boys、Heart、Fire Fall、TKOが参加し、日本からは、当時既に「いとしのエリー」が大ヒットし、人気バンドの頂点に立っていたサザンオールスターズが、出演する湘南でのフェスティバルは、地の利の良さもあって、1日8万人の観客を動員(とされているが、会場の大きさからして、そこまで入ったかは定かではないが)、ロープで仕切られただけの、ブロック別になっていた会場は満員ではあった。ロック・フェスに慣れていない日本人観客は、「ウッドストックの衝撃が今蘇る!!」というポスターのコピーに釣られ、ちょっとだけ、憧れのウッドストックに参加する気分で出かけて行った。
規制は緩く、それぞれがクーラー・ボックスに飲料や食料を詰め込んで、キャンプ用の椅子やシートを持ち込み、ピクニック気分で自由なコンサートを楽しむ気分だった。
パナソニックのPA、RAMZAのお披露目のイヴェントでもあり、フェス慣れしていない日本人客には、ステージ横にずらっと並んだ巨大なスピーカーの山を見ただけで、ロック・フェスに来ている気分を盛り上げ、「なんちゃってウッドストック」感を味わえることもできた。
今では考えられないが、ジャンルもバラバラであった。
オープニングには、その年にデビューしたばかりのシアトルのハード・ロック・バンド、TKO。ブロンドのロング・ヘアーで、ルックスも良かったので、Music Life誌などでは紹介されていたが、ほとんどの観客が知らないバンドであり、音楽で盛り上がるには今ひとつといった状態。さらに、神奈川にある2つの米軍ベース・キャンプから、何台ものバスを連ねて米兵がやって来て、休日のコンサートをビール片手に満喫していた。そんな米兵客に戸惑い、日本人客にとっては、ステージに集中できない環境でもあった。
2番目の登場は、アメリカン・ロック・ファンには嬉しいFirefall。Flying Burrito Brothersのメンバーだったリック・ロバーツが中心のコロラドのバンドで、日本では、ウエスト・コースト・ロックのバンドとして紹介されていたソフト・ロックのバンドで「You’re the woman」のヒット曲もあったので、日本にもファンはいた。個人的には「It doesn’t matter」が大好きな曲なのだが、江ノ島で演奏したかどうかは覚えていない。
そして、Heartの登場で米兵たちが大騒ぎとなる。
演奏曲目は覚えていないが、「Barracuda」を聴いた記憶は残っているのと、Led Zeppelinの「Rock and Roll」を演奏したのは覚えている。
もともと決めていたのか、兵隊が多くいるのを見て、彼らに絶対に受けるLed Zeppelinの曲をやったのかはわからないが、当然、そこで会場(米兵)の盛り上がりは最高潮となった。日本人客は、相変わらず、米兵と同じテンションにはなれず、一歩引いていた感じ。
次に登場したのは、サザンオールスターズは前年の78年にデビューしたばかりのバンドであったが、「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」「思い過ごしも恋のうち」と、速いペースでシングルをリリースし、すでに人気絶頂。今でこそ繊細緻密な音作りを聴かせるが、デビュー時の彼らの魅力でもあった、ラフな疾走感のある演奏を披露。海外のビッグ・ネームとの共演を意にも介さない桑田佳祐のステージは、日本人客を熱狂させたが、入港中の空母、ミッドウェイの乗組員の多い米兵には、日本語で歌うステージが理解できなかったようだ。多分、日本の音楽を初めて聴いていたのだろう。
その後登場のBeach Boysで、米兵のノリもすっかり治り、落ち着いてステージを楽しめる状況になったが、演奏自体があまりパッとせず、ヒット曲のオン・パレードではあっても、がっかり感は否めなかった。
午前中から始まり、会場の照明がないための安全策なのか、江ノ島の住民を考慮してのことなのか、午後7時には終了という文字通り太陽の下でのコンサートであった。
大半の日本人客の目的がサザンオールスターズであったのだろうが、まずは行くこと、音楽は自由に聴きたいものを聴くという、日本でも出来るロック・フェス発展のヒントのひとつとなったフェスなのかもしれない。
翌年Japan Jam 2が、横浜スタジアムに場所を変えて行われた。アトランタ・リズム・セクションを観れたのは、嬉しかったが、1m弱四方の、指定席分の自由しか与えられない場所では、フェス感はなくなり、ただのコンサートになってしまい、Japan Jam3は開催されることはなかった。
≪著者略歴≫
足立仁志(あだち・ひとし):神奈川県茅ケ崎市出身、在住。音楽雑誌の編集者から、レコード会社の制作となり、海外アーティストも含め、多くの作品をプロデュース。現在もフリーのプロデューサーとして、音楽全般の業務に携わる。
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