2018年02月26日
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2018年02月26日
2月26日は桑田佳祐の誕生日。
桑田佳祐様、お誕生日おめでとうございます。
1974年4月、青山学院大学の銀杏並木は、各サークルがブースを並べ、新入生の勧誘で賑わっていた。何故か、桑田が足を止めたのは、部室も無く、同好会としても学校からは認められていない小さなサークルで、しかも、「青山フォーク・ソング 出発(たびだち)」という、なんとも気恥ずかしい名前のサークル、しかもそのまま入部してしまったのだ。
鎌倉学園高校時代からバンド活動をしていたようであったが、それは、映画『茅ケ崎物語〜MY LITTLE HOME TOWN』を観ていただければわかるので、今回、依頼を受けたBETTER DAYS時代の桑田佳祐氏の想い出を書かせていただく。
私自身、その気恥ずかしい名前のサークルに、何故か在籍していたわけで、銀杏並木で出会ったのが彼との最初の出会いであった。偶然にも、同じ茅ケ崎出身で中学校の後輩でもあり、新入生らしからぬ緊張感のない雰囲気に一歩引きながらも親しみを感じた。
そのサークルは、部室もなく、学食が部員の溜まり場になっていた。授業にも出ず、学食でギターを弾く事もあり、定位置の一角を占有し、午後の授業が終わる時間になると、空いている教室を探し、そこで練習が始まった。しかし、バンド練習はそうもいかず、宮益坂にある斎藤楽器の練習スタジオを使っていたと記憶している。桑田のバンドは、長野に合宿に行った際の彼の姿から付けられたのか「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」「ピストン桑田と脳卒中」と名前は変えていくが、同じサークル内での事なので、音楽性やメンバーがガラリと変わったわけではなく、飽きてしまったからだけのことだと思う。
ただ、今、日本の音楽の流れまでにも影響を与えた名実ともにトップ・ミュージシャンの桑田の、もう一つの一面である、エンターテイナーとしての才能は、すでに開花していたのだと、今考えれば思われる。“カッコイイ”を演じるのではなく、“人がどう楽しんでくれるか”を、あの頃、既に考えていたのだろう。そう考えなければ、ただの変な奴になってしまう。
そのサークルの合宿で河口湖に行った際、事件が勃発、サークルが分裂し新しいサークルを作ることになった。サークル名をどうするか、活動をどうするかなどミーティングが繰り返されたが、桑田がそこに参加していた記憶はない。ポール・バターフィールドのグループ名から借用したBetter Daysに決まった後、彼も参加することになった。どちらが良いか考えていたのか、何にも考えていなかったのか…。
Better Daysは前サークル同様、同好会としても認められていない、今でいうならインディーズ・サークルで、当時は不定期のコンサートや学祭での演奏の他は特別な活動をしていたわけではなく、桑田のバンド(当時は、青学ドミノスと名乗っていた)も、桑田の中学時代の同級生、宮治淳一が主催する湘南ロックン・ロール・センターという湘南エリアのバンドを集めたコンサートにも参加していた。宮治の早稲田大学の友人であった、現音楽評論家の萩原健太氏も青学ドミノスのギタリストとして参加していた。そこで、相変わらず、バンド名に執着のない桑田に変わってサザンオールスターズを命名したのが、宮治であった。
桑田に関しては、既に語り尽くされているので、新しい情報はないが、学生時代の思い出を一つ付け加えると、彼はいつもお金を持っていなかった。というのも、お金があると、友達に奢ってしまい、所持金を全部使ってしまう。翌日からは素寒貧になるわけで、彼の今につながるエンターテインメント性の一つのような気もする。
20数年前、私が病気で長期入院した際、見舞いの手紙をもらった。内容は書けないが、涙が出るほど嬉しい心遣い溢れる内容だった。常々、人に対する気遣いを欠かさず、人を楽しませるエンターテインメント性に加え、繊細な音楽に対する探究心が加わったのだから、彼がスーパースターであり続ける事に、疑いはない、これからもずっと。
残念ながら、桑田佳祐、小西康陽をはじめ多くのミュージシャンを輩出した青山学院大学の音楽サークル「Better Days」は今はない。
≪著者略歴≫
足立仁志(あだち・ひとし):神奈川県茅ケ崎市出身、在住。音楽雑誌の編集者から、レコード会社の制作となり、海外アーティストも含め、多くの作品をプロデュース。現在もフリーのプロデューサーとして、音楽全般の業務に携わる。
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