2018年07月18日
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2018年07月18日
1988年の7月18日は、今年サザンオールスターズでデビュー40周年イヤーに突入した桑田佳祐のファーストソロアルバム『Keisuke Kuwata』がオリコンアルバムチャートで1位に輝いた日だった。
同年7月9日にリリースされた本作の全12曲のなかには、ソロデビューシングル「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」、セカンドソロシングル「いつか何処かで(I FEEL HE ECHO)」という、今日、桑田のソロワークスにおいて “代表曲”と位置付けられているナンバーもある。(のちのKUWATA BANDへの布石となった)「嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE!」、そしてKUWATA BANDとしての活動を経てリリースされた、いまなお多くのリスナーに愛聴されている一枚である。
だが、後年あらためて聴いてみると、前述の活動にサザンといった音楽冒険を体験することで、言わば“イケイケ”の二十代後半を過ごしたアーティストのファーストソロアルバムとしては、いささかペシミスティックな性格の楽曲が含まれているようにも受け取れた。
この疑問を、筆者は2012年、桑田のソロベスト盤『I LOVE YOU -now & forever-』のリリース時のインタビューで率直にぶつけてみた。桑田の答えは(ざっくり要約すると)、「(当時)31,2歳で、青春期の充実や感傷のようなものを噛み締めていた頃だったから」であり、「サザン、KUWATA BANDといった“バンド活動”の反動で、そろそろ一人になりたかった」、「自分の内省的な部分を自覚的に音楽へ反映させていた。その際“ポップス”という言葉がしっくりときた」というものだった。時折、照れ臭そうな苦笑を交えながら語ってくれた彼の表情がいまでも印象に残っている。
本作は藤井丈史、そしてその後のソロワークスやサザンでも暫く制作を共にすることとなる小林武史とのチームで制作された。桑田は前述のインタビューの際、84年にサザンのシングル「ミス・ブランニュー・デイ」で藤井と出会い、彼にソロ活動におけるサポートを依頼したところ「藤井君が連れて来てくれたのが小林君だった」と回想している。
彼らとの制作は、当時の桑田にとってかなり刺激的だったそうだ。特に小林については、音楽であり楽器に対するアプローチを「(引き出すというより)導き出してくれた」と語っていた。自分とは全く違う性格と知識を持った彼らとの摩擦は、本作の音楽性とクオリティに大きく貢献した。いわば“化学反応”が起こったのだ。
レコーディングには長田進、下山淳、山木秀夫、そうる透といったベテラン勢をはじめ、KUWATA BANDからは琢磨仁と河内淳一が、さらにコーラスでアン・ルイス(クレジットはAnnie Lewis)、桑名晴子、杉真理、そして現在も家族ぐるみでの交流が続いている竹内まりやに、サザンからは原由子が参加している。現在とはやや異なる、当時ならではといった交友録を窺い知れるクレジットが興味深い。加えて桑田が一切ギターを弾いていないという点も、同じく本作の特徴と言えよう。
さらに特徴を挙げるならば“父親の視点”だろうか。子供の目線を通したノスタルジックな佳作「Dear Boys」はジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」にインスパイアされたという。さらに「愛撫と殺意の交差点」には次世代の(そして自分の)子供たちへのメッセージともとれる歌詞が歌われている。ちなみにこの曲には(Shoutというクレジットで)桑田の愛息のコーラスが収録されている。
シングル曲はもちろんのこと、「悲しみのプリズナー」、「今でも君を愛してる」、「Blue ~こんな夜には踊れない」は近年のソロツアーでも歌われている。楽器の鳴りやボーカルのエコーには当時(80年代)っぽさも感じられるが、ファーストソロアルバムから、いまもなおライブの場で有効な楽曲を生み出していたのは流石の才である。
自覚的に奏でられたセンチメンタルかつカラフルなポップスから得られた収穫の大きさは言わずもがな。そして社会風刺を孕んだジャーナリスティックな視点は、94年リリースの次作『孤独の太陽』で爆発を迎えるのだった。
≪著者略歴≫
内田正樹(うちだ・まさき):ライター/編集者。1971年東京都生まれ。雑誌SWITCH編集長を経てフリーランスに。これまでに様々なアーティストのインタビューを手掛ける。サザンオールスターズ/桑田佳祐へのインタビューもこれまでに複数回実施している。
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