2015年05月30日

NIAGARA MOON

執筆者:小貫信昭

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1975年5月30日。大瀧詠一のソロとしては2作目にあたる『NIAGARA MOON』がエレックレコードのナイアガラレーベルからリリ-スされた。


当時の品番NAL-0002が表わす通り、同レーベルとしてはシュガー・ベイブのSONGS』に次ぐものである(手元の『NIAGARABOXⅠ』にも、もちろんこの順番で箱に収まっている)。ファ-ストである『大瀧詠一』が、どちらかというとはっぴいえんどの叙情的な世界観を引き継いだ、表現の方法論としてもシンガ-・ソング・ライタ-的なテイストの強い内容だったのに較べ、こちらはよりカラっとした質感だ。ドゥ-ワップ、メレンゲ、ニュ-オ-リンズのR&Bなどの要素も含め、実にリズミックな内容であり、また、特に「ハンド・クラッピン・ルンバ」や「楽しい夜更し」には、大瀧特有のユ-モアが、遺憾なく発揮されていた。


そういえば先日、いまや人気絶頂、あの星野源さんに取材でお会いしていたのだが、彼が5月27日にリリ-スした新曲「SUN」のカップリングに「Moon Sick」という作品があり、歌詞のなかに“楽しい夜更し”というフレ-ズを盛り込んであったので、“もしや…”ということで訊ねると、これは大瀧へのオマ-ジュであるとのことだった。実に嬉しかった。星野さんの世代も『NIAGARA MOON』を愛聴していることが嬉しかったのだ。でも改めて調べると、“夜更し”の演奏時間は2分12秒。あっという間で濃厚に弾む2分12秒。何回も何回もこればっかり聞いてた時期もあったっけ。それにひきかえ最近の曲は、必要も無いのに聞き終わるまで4~5分掛るのが多くないかい? なんてこと書き始めると、オヤジのボヤキになるのでやめよう。


当時、大瀧詠一はその後アルバム・タイトルにもなる『GO! GO! NIAGARA』というラジオ番組のDJを勤めていた。ラジオ関東というロ-カル局での放送だったが、幸運なことに僕は電波状況がクリアな地域に住んでいたので、毎回楽しみに聴くことが出来たのだ。今でも覚えているのは、ラジオから聞こえてくる喋り声やレコ-ドの音が、特徴的なことだった。まさにすぐ横で語りかけてくれているようなマイクのセッティングもすごくオンな雰囲気。流れるレコ-ドの音に関しては、「モノラルって艶めかしい」と、そう感じられるものだった。


番組ではハガキも受けつけていたので、当然のことながら出しまくった。で、読まれたのは確か二回かな。どうやったら読んでもらえるかを研究しまくって、色々な算段を尽くしてたったの二回である。一方、やたら読まれる奴がいたのだ。彼のペン・ネ-ムは“大細鈴松”(この名前の由来は説明しなくてもお分かりだろう。そして僕は既に名前のアイデアの時点で彼には負けていた)。


後年、ラッキ-が重なって音楽業界で働くようになったけど、ある日、市ヶ谷にあったレコ-ド会社で、同世代と思しき人間を紹介された。そして彼に、こんな挨拶をされたのだ。「初めまして“大細”です」。そう。なんとあの“大細鈴松”も、音楽業界入りしていたのである! 彼とはそれから親交が続いていくこととなった。ラジオ番組『GO! GO! NIAGARA』の同窓生というか、そんな絆にも支えられながら…。


話はまだ終わらない。さらにさらに大イベントが待ち受けていた。ついに大瀧詠一本人の取材が実現したのだ。指定された場所を訪ねると、ちょっとはにかんだような笑顔で、憧れの人は椅子に腰掛けていた。僕が自己紹介すると、大瀧はこう言った。


「君の名前はどこかで見たことあるなぁ」。


僕が“GO! GO! NIAGARA”のヘヴィなリスナ-だったことを、もちろん覚えていてくれたのだ。しかし取材対象としてのこのヒトは、一筋縄ではいかないのだった。質問に対する返しが洒脱すぎて、無学な僕には理解不能な時も少なくなかった。確か「大瀧詠一・谷啓対談」とかも拙い進行役を仰せつかった記憶が。探せば記事がみつかると思うのだが…。

NIAGARA MOON-40th Anniversary Edition- 大滝詠一

大瀧詠一

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