2015年05月15日

ヨイトマケの唄

執筆者:北中正和

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本日5月15日は美輪明宏の誕生日。1935年生まれ、80歳となる。


美輪明宏の存在は子供のころから知っていた。彼がまだ丸山明宏と名乗って「シスター・ボーイ」と呼ばれていたころだ。なぜお化粧をして、女性のような服を着ているのかは、子供心にはよくわからなかった。彼の歌も理解できなかった。ただ「メケ・メケ」というルフランはすぐに覚えて、意味もなく口ずさんでいた。やせて口数が少なく、スポーツが苦手で、女の子とばかり遊んでいたぼくは、友だちから「シスター・ボーイ」とからかわれることも多かった。


「ヨイトマケの唄」が社会派の歌として注目されはじめたころ、三島由紀夫が彼のことを気に入っていると知って驚いたことがある。美辞麗句に身を包むのが好きな三島由紀夫が、「ヨイトマケの唄」のような作品を作る美輪明宏にどうしてひかれるのか、どう考えてもよくわからなかった。美貌ゆえ? たしかにそうかもしれない。三島は美しいものには眼がなかったから。しかしそれ以上に、たぶん三島は自分にない才能を持っている美輪明宏に本能的にひかれていたのだろう。


社会派のフォーク・ソングが話題になると、「ヨイトマケの唄」は、その先駆的存在として語られるようになった。しかし「ヨイトマケの唄」には、社会派のフォーク・ソングにはない重みがあった。社会派のフォーク・ソングは「正義」によって説明することができたが、お化粧してスカートをはいて「ヨイトマケの唄」をうたう美輪明宏をどう説明すればいいというのだろう。彼は何光年も先からやってきた宇宙人のように見えた。


はじめて彼の歌をライヴで聞いたときのことはいまだに忘れられない。会場は千代田公会堂だったと記憶している。友部正人のコンサートがあり、彼がゲストで登場した。そのとき二人でうたったのは「さすらい」だった。歌がはじまった瞬間に鳥肌が立った。よるべのない自由で孤独な魂が会場を震わせていた。フォークもシャンソンもある意味それまでの歌謡曲からするとオルタナティヴなものと分析されていたが、二人の声はそんな次元を通り越して、歌は歌だ、それ以下でもそれ以上でもないと言っているようだった。後年、桑田佳祐がこの歌をロック的にうたったときも同じことを感じた。


わが家にはテレビがないが、美輪明宏が紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」をうたったときは、妻の実家に帰省していて、見ることができた。現在では存在しない「ヨイトマケ」にまつわる唄を熱唱する美輪明宏は哲学者か、でなければマジック・リアリズムの登場人物だった。歌の中を社会に対する激しい怒りが駆け抜けていくように思えた。一貫して自分より弱い者の立場から歌をうたってきた彼の矜持がまぶしかった。

美輪明宏 全曲集 2014 美輪明宏

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