2018年07月17日
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2018年07月17日
ミュージシャンやバンドや作曲家の伝記本は、クラシックからポピュラー音楽まで、世の中にあふれている。しかしポピュラー音楽の評論家で評伝が書かれた人は、ぼくの知るかぎり中村とうようさんが初めてだ。7月17日はその中村とうようさんの誕生日である。
ふだんこのコラムでとりあげる人に敬称をつけることはないが、今回だけ「とうようさん」と書くのは、ぼくがかつて彼が編集長をつとめる雑誌の編集部員だったときからずっとそう呼んできたし、周囲の人もみんなそうだったので、「さん」抜きだと別の人のような気がするからだ。
とうようさんは京都の学生時代にラテン音楽を聞きはじめ、卒業後は東京の銀行で働きながら、『ミュージック・ライフ』『スイング・ジャーナル』などの雑誌に原稿を書きはじめた。最初のころはラテンをはじめとする中南米やカリブ海の音楽の原稿が多かった。しかし60年代にはフォーク・ソングを紹介し、さらにはロックへと関心領域を広げ、69年には『ニューミュージック・マガジン』を創刊した。現在の『ミュージック・マガジン』の前身だ。
ニューミュージックという言葉は後に日本のシンガー・ソングライターやロック・グループの音楽を指して使われるようになったが、69年の時点では「新しい音楽」という一般名称であり、『ニューミュージック・マガジン』は英米のロック界で新しい動きが次々に起こった60年代後半の動きを反映して生まれた雑誌だった。
それまでの音楽雑誌がグラビアを重視した紹介記事中心だったのに対し、『ニューミュージック・マガジン』は社会状況など周囲の現象も含めて音楽を論じる批評的な記事を重視していた。扱う音楽の対象はどんどん世界各地の音楽にまで広がっていった。そこからスピン・アウトする形で『レコード・コレクターズ』や『ノイズ』なども創刊した。
とうようさんは、執筆者や編集者としての活動だけでなく、ラジオDJ、コンサートの企画、アルバム・シリーズの監修なども手がけ、いったいいつ眠っているのかと不思議なくらい仕事熱心だった。
田中勝則著の評伝『中村とうよう 音楽評論家の時代』によれば、とうようさんがレコード会社を説得して発売した洋楽のアーカイヴ的なシリーズは、ブルース、リズム&ブルース、フォーク、フォルクローレ、キューバ音楽、サルサ、サンバ、アフリカ音楽、インドネシア音楽、ワールド・ミュージックなど驚くほど幅広く、何百枚にも上っている。それと連動して雑誌にはいつも関連記事が掲載された。
インターネットやユーチューブが影も形もなかった当時、それらのアーカイヴ音源や記事が、われわれの洋楽理解をどれだけ広げ、深めてくれたことか。いまの日本は世界一のディスク大国だが、とうようさんの活動はレコードやCDの時代の音楽の楽しみ方を通じて、そこにいたる道を開いたとも言える。
とうようさんの評論に一貫していたのは、どんなジャンルや時代の音楽を扱うときも、ヒットの数字だけで語るのではなく、音楽がどこから生まれてきたのかを意識して楽しみながら評価する姿勢だった。何にでもアクセスできるネット時代を先取りしていたかのような間口の広さも圧倒的だった。ネット渉猟者が陥りがちなおたくなタコツボ型ではなく、俯瞰する視点を失わないスケールの大きさもあった。
編集部にいたころは、こわくてうるさい編集長だと思っていたが、それはとうようさんのスピードに追いつけないわれわれ編集部員を叱るためというより、そのギャップを埋めないで性急に走ってしまう自分自身への腹立ちの声だったのかもしれない。いまとなっては、渋谷にあった狭い編集部に響くとうようさんの怒鳴り声が懐かしい。
とうようさんのコレクションはいまは武蔵野美術大学に収められ、ときおり展覧会やCD復刻などの形で発表されている。
≪著者略歴≫
北中正和(きたなか・まさかず):音楽評論家。東京音楽大学講師。「ニューミュージック・マガジン」の編集者を経て、世界各地のポピュラー音楽の紹介、評論活動を行っている。著書に『増補・にほんのうた』『Jポップを創ったアルバム』『毎日ワールド・ミュージック』『ロック史』など。
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