2018年05月09日
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2018年05月09日
5月のMayに9日の「ク」で、本日はメイクの日。
2013年に制定された新しい記念日だが、ロックとメイクの関係は深く長い歴史がある。それどころか、メイクがロックを変えたと言ってもいいだろう。
あれは72年か、73年のことだったか。
音楽誌『ニューミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)に、音楽評論家の北中正和氏が「メイクでグラムロッカーに変身!」というテーマで誌面に登場した。
当サイトでも深い洞察に満ちた論考を寄稿されておられる北中氏が、メイクを施されていくうちにみるみる印象が変わっていく様は女性のそれよりもインパクト大で、当時かなりの話題を集めたものだ。
固いイメージのある『ニューミュージック・マガジン』がそのような企画を立てたことからも分かるように、ロンドンで派生したグラムロックの熱狂は日本にもすぐに飛び火した。
70年代始めにファッションと音楽を巻き込んで突如巻き起こったロンドン・ポップのムーヴメントから、T-レックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、スレイド、モット・ザ・フープル……きらびやかなグラムロック・バンドたちが次々と登場する。
それはまさにロックの革命だった。
それまでも「Fire」が68年にヒットしたアーサー・ブラウンの悪魔的メイクや、もっと古くはロックンロールの創始者の一人であるリトル・リチャードの白塗りのようにメイクをしたミュージシャンはいた。
けれども、グラムロックからニューロマンティック時代のバンドたちには、それまでのミュージシャンにはない両性具有的な妖しい魅力があった。
『世界を売った男』(70年)『ハンキー・ドリー』(71年)のアルバム・ジャケットに女性よりも美しい女装で登場したボウイは、その類まれなセンスと実験精神でもって『ジギー・スターダスト』(72年)『アラジン・セイン』(73年)という傑作アルバムを発表。ツアーでは、シアトルカルなステージングで見るものをその世界観に引き込み、メイクとロックの蜜月時代を作り上げた。
ボウイに影響されたミュージシャンの数は、枚挙にいとまがない。
ニューロマンティックという言葉を生み出したヴィサージュのスティーヴ・ストレンジ、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、ジャパン、デュラン・デュラン、デッド・オア・アライヴのピート・バーンズ、ゴスのバウハウス、スージー・アンド・ザ・バンシーズのスージー・スーなど、70年代後期から80年代の英国ロックシーンはそれぞれに個性的なメイクを施したバンドが現れ、まさに百花繚乱と呼ぶべき状況が生まれた。
当時はロックの世界でまるで継子扱いされていたグラムロックだが、サウンドの面でも彼らはそれまでの大作主義に陥ったロックシーンにポップチューンを持ち込むことによって、凝り固まった価値観を壊して自分の手で自由を掴み取る、というロック本来の精神を取り戻したのだ。
そしてその革命は、メイクの力がなければ絶対に成し得なかったことなのだ。
残念なことに今のロックシーンには、70年代から80年代のような夢の世界の住人のような美しいアーティストは、ほとんど見当たらない。
メイクをしているマリリン・マンソンや一部のブラックメタル・バンドは、あえて美しさとはかけ離れようとしているように思える。
むしろ、その美の系譜はヴィジュアル系の日本人アーティストに受け継がれているようだ。
ボウイの『ジギー・スターダスト』の時代に、額に輝く金の月のメイクを施したのは、日本人のトータルビューティクリエイター・川邊サチコ。
彼女のこの印象的なメイクがなければ、ボウイの代名詞にもなっている『アラジン・セイン』の稲妻メイクは生まれなかったかも知れない。
日本文化に早くから魅了されたボウイは、初来日の際に歌舞伎の舞台に足を運び、玉三郎に会って女形の化粧を直々に教わったという。
よく知られているように、ボウイのグラムロック期のヴィジュアル・イメージは上記の川邊の他に写真家の鋤田正義とスタイリストの高橋靖子、ファッションデザイナーの山本寛斎という日本人スタッフたちが作り上げたものだ。
今また、ファッションでも70年代がクローズアップされている。
浮世絵がヨーロッパに渡って印象派の画家たちに影響を与え、それがまた日本の洋画へと反映されたように、メイクを通して日本から英国へ、そしてまた日本へと巡るロックの美の潮流を辿ってみてはいかがだろう。
≪著者略歴≫
藤野ともね(ふじの・ともね):大学時代に音楽ライターを始め、フリーランスとして『宝島』『キューティ』『VOW』(以上、宝島社)、日本初LGBTマガジン『yes』(NMNL)などの編集に関わる。父の介護ブログをまとめた『カイゴッチ 38の心得』(シンコー・ミュージック)が発売中。
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