2019年06月04日
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2019年06月04日
1965年(昭和40年)の本日6月4日は、所謂「花の82年組」の一人、新井薫子が生まれた日。
平成も最後の最後になって突然息を吹き返したのが、長年「不作の83年組」と言われた、昭和58年デビューのアイドル達だ。大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、松本明子、森尾由美といった面子が集合して、奇跡のライヴ「不作と言われた私たち『お神セブン』と申します」を開催したのに続き、同じく83年デビュー、短い芸能活動を終えた後長らく沈黙していた河上幸恵が、まさかの歌手活動再開。SNSもフル活用して新たなファン層へアピールをも欠かさない。悟りの境地を迎えたかつてのアイドル達が、混沌に満ちた当時の芸能界の真相を今に伝えてくれるチャンスはまだまだ拡大しそうである。
そんな「83年組」に負けじと、その前年デビューしたアイドル達は、未だに名前が語られるだけで華が咲きそう。今日子・明菜の両巨頭は言うに及ばず、未だにニュースに事欠かない優・ちえみ、良き家庭人としてそっと見守っていたくなる秀美・寛子…。この6人と同じ走者グループ内にいて、お互い追い越すことなく慎重に走っていたというイメージが、少なくともデビュー当時にはあったのが、本日の主役・新井薫子である。
デビュー曲は1982年3月21日発売されたシングル「虹いろの瞳」。三浦徳子・網倉一也という、それぞれ郷ひろみの一連のヒットシングルで鮮烈な印象を残した作家二人の組合せによる楽曲は、まさに王道アイドルポップス。「夏を待ちきれなくって」のリフレインがとにかく鮮やかに印象に残る。7人のデビュー曲を今並べて聴くと、みんな真剣勝負してるなという感を抱くけれど、その中でさえ飛び抜けて弾けた作品ではないだろうか。オリコンチャートでは最高45位を記録。同日発売の三田寛子「駈けてきた処女」(21位)、小泉今日子「私の16才」(22位)、堀ちえみ「潮風の少女」(27位)に大きく差をつけられてはしまったけれど、かなり健闘した方である。それにしても、4枚を並べてみるとこのジャケットは「強い」。「瞳・少・女」の面目躍如である。
三浦・網倉コンビによる続く2枚のシングル「イニシャルは夏」「赤い靴」は両者とも60位以内に入り、ネクストランナーとして期待感を煽り続けはしたが、薫子が伝説のアイドルの域へと進んだのはむしろチャート入りを逃したシングルの賜物と言えるだろう。その4枚目は、麻丘めぐみの大ヒット曲のカバー「私の彼は左きき」である。今だったら純粋主義者に「タイトルは正しく表記しろ」と言われて炎上するかもしれないけど、当時はまだ大らかだった。何せ今日子が「素敵なラブリーボーイ」を、寛子が「色づく街」を、水谷絵津子が「芽ばえ」をそれぞれカバーし、ちょっとした70年代アイドルルネッサンスが沸き起こっていた頃である。しかし、明菜が「少女A」「セカンド・ラブ」でアイドル美学を革命的方向に導く中、ここで撃沈するのも仕方ない。
そして83年を迎え、今日子・ちえみ・優・秀美もいよいよベスト10の常連へと駒を進める中(寛子は前述したカバーで一歩後退する)、薫子が放った(ある意味では)決定打、それが「大和撫子"春"咲きます」だ。
80年代アイドルをリアルに通ってきた方だったら、この曲を知らない人なんて恐らくいないのではないだろうか。寧ろ、オリコンチャート100位内をかすめもしなかったこととか、あの国民的名曲「川の流れのように」を5年後に手がけることになる見岳章が編曲を担当している事実(言われてみれば、前年大ヒットした一風堂「すみれSeptember Love」のニュアンスも確かにある)が、意外に思われるかもしれない。ともあれ、レコードの売り上げだけが「時代の鏡」になるとは限らないのだ。七変化な大和撫子には負けたけど、確かにカルトな大輪を咲かせた1曲だ。その後、同系統ながらさらに暴走度を高めた「OH! 新鮮娘」が続き、彼女のアイドル生活は終わった。
その後、彼女に関するおかしな噂話がいくつか流布されたりもしたけれど、93年に突如デュオユニット、the TABLESのボーカルとして復活。唯一のアルバム『Tablemania』では、当時のピチカート・ファイヴや電気グルーヴを彷彿とさせるキッチュなポップを展開。アイドル末期に経験したエキセントリック路線が決して無駄なものではなかったことは、このサウンドにぴったりハマった歌唱スタイルが証明している。現在のJ-popの流れから捉えてみれば、まさに「早すぎた1枚」かも。その後、カオルコ名義で2枚シングルをリリースして芸能界を去り、ニューヨークを拠点にアート表現者の道に進んでいる。そっとしてあげて下さい…。
そんな新井薫子を送り出したのは、今は亡きTDKレコードである。貸しレコード店がレコード業界の最大の宿敵だった時期、テープメーカーがレーベルを持つなんてと、今振り返れば皮肉の極みかもしれないが、実際はTDKの直営会社ではなく、その傘下である教材制作会社が発展してできたレコード会社(正式社名は「TDKコア」で、TDKレコードはレーベル名)で、キングレコードが販売を担当していた(キング本体が「82年組」戦線に介入しなかったのは、その関係もあるだろう)。シングル第1弾新譜が「虹いろの瞳」だった。薫子の他、のちにプリンセス・プリンセスへと変容する赤坂小町、前述した徳丸純子らが所属し、「スカイ・ハイ」でおなじみジグソーのカタログを再発するなどの動きも見せたが、椎名恵、NOBODYが健闘を見せたのにも関わらず、88年に一旦業務を停止。89年には社名もTDKレコードとして新体制で復活し、小比類巻かほるのアルバム『TIME THE MOTION』ではプリンスが2曲作曲・プロデュースをするという話題を提供。英国のラフ・トレードと提携したりもしたが、こちらも2000年代初期までに活動を終えた。
そんなレーベルの運命もあり、新井薫子名義の音源は全くデジタルリリースされていない、もしくはコンピにも収録されていないというのが現状である。椎名恵、NOBODYは本人の移籍によりカタログの権利がそれぞれキング、ワーナーへと移行しているし、徳丸純子もコロムビアから『ゴールデン☆ベスト』が出るという動きがあったので、ディープに調査を進めれば何かが見えてくるかもしれないけれど。せめてベスト盤さえ出ていれば、彼女に対する評価もきっと変わってくるだろう。
ついでにthe TABLESもまた、奇々怪々な運命の辿り主、シックスティ・レコードからのリリースだった。この2社を跨いだこと、それが時代が彼女に課した最大の悪戯だったのかもしれない…。
新井薫子「虹いろの瞳」「私の彼は左きき」「大和撫子"春"咲きます」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の3タイトルが発売、10月25日にはその続編として新たに2タイトルが発売された。
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