2019年03月08日

1985年3月8日、中森明菜「ミ・アモーレ」がリリース~第二期明菜の起点となった名曲

執筆者:馬飼野元宏

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1985年3月8日、中森明菜のシングル11作目「ミ・アモーレ」がリリースされた。明菜にとっては初のラテン歌謡で、この曲を境にアイドル・シンガーから本格的な大人の歌手へと脱却を果たした1曲でもあり、オリコン・シングル・チャート1位はもちろんのこと同チャートの年間2位を記録する大ヒットとなり、同年の日本レコード大賞を受賞する栄誉に輝いた。


「ミ・アモーレ」に至るまでの中森明菜は、デビュー曲「スローモーション」にはじまる来生えつこ=たかお姉弟の楽曲と、2作目「少女A」を皮切りにした、売野雅勇作詞による作品を交互に歌ってきた。前者では少女のセンシティヴでナイーヴな心象を歌い、後者では山口百恵の世界を踏襲したかのような「ツッパリ歌謡」をロック的なビートに乗せて歌ってきた。この二刀流で少女の二面性を表現してきたが、7作目「北ウイング」で、康珍化=林哲司コンビを初起用、ニュートラルな女の子像を歌い、新たな一面をみせた。さらに来生えつこ=玉置浩二コンビのリゾート歌謡「サザン・ウインド」でアイドルらしい可愛らしさをみせ、続く「十戒」では売野雅勇の作詞にギタリスト高中正義を作曲に起用、ツッパリ路線の集大成的なハードロック歌謡を聴かせた。そして井上陽水による「飾りじゃないのよ涙は」を経て、再び康珍化を作詞に迎えての「ミ・アモーレ」発売という流れであった。







作曲の松岡直也は、ラテン・フュージョンのピアニストで、それまで歌謡曲、それもアイドルへの楽曲提供はほぼなかったが、82年にはアルバム『九月の風』がインストゥルメンタルにもかかわらずオリコンチャート最高2位の記録的なセールスを叩き出し、タイトル曲が三菱自動車ミラージュのCMソングに起用されたことも遭って、松岡サウンドが世に広まり始めていた時期でもある。その渦中での明菜への楽曲提供は、新鮮な驚きを持って迎えられた。


当初、松岡のメロディーが先に完成しており、これに康が詞をつけたが、最初に出来た詞は「赤い鳥逃げた」というもので、やや内省的な内容であったため、シングルにするには弱いと判断したディレクターの島田雄三は、書き直しを依頼、新たに完成したものがこの「ミ・アモーレ」であった。元の歌詞であった「赤い鳥逃げた」は、その後、12インチシングルとしてリリースされ日の目を見ている。

ところで、現在ではよく知られた事実だが、「ミ・アモーレ」とはスペイン語とイタリア語の合成タイトルで、その後「Meu amor e」とポルトガル語に作り変えられている。あくまで「ラテン世界のイメージ」から生まれたタイトルだが、具体例は挙げないまでも、歌謡曲のタイトルには意外にこういうアバウトな例がままある。


松岡のラテンサウンド、しかも歌詞にある通りサンバのリズムを用いた楽曲は、実は歌謡曲と相性がいい。ラテン音楽自体、その哀愁溢れるメロディー・ラインが歌謡曲と親和性の高いものであるが、サンバを歌謡曲に導入した際は、例えばサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」や郷ひろみの「お嫁サンバ」「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」或いは大場久美子「スプリング・サンバ」や榊原郁恵の「ラブジャック サマー」、松本伊代「太陽がいっぱい」など、いずれも明るく、ノリが良く、狂騒的な楽曲になることが多い。ことに、80年代前半はバブル期突入前とあって、そういったノリノリのサンバ歌謡がかなり積極的にリリースされた。中原めいこのデビュー曲「今夜だけDance・ Dance・ Dance」のように、自作自演者ながら、この路線を突き詰めたアーティストも登場してきた。だが、基本的にサンバ=夏、というイメージが強く、夏場の派手な盛り上げ曲としてリリースされることが常であった。その中で「ミ・アモーレ」は曲のAメロはしっとりと聴かせ、Bメロで少しずつテンションを盛り上げ、サビでサンバ全開の華やかな展開へ持っていく、緩急ついたナンバーで、他のサンバ歌謡とはいささか傾向が異なっている。これは、それこそ山口百恵が78年後半から80年にかけラテンサウンドに傾倒し、シングル「謝肉祭」をはじめ「サンタマリアの熱い風」「ディ・ドゥリーム」などの傑作を残した、その世界を継承・発展させたものとも考えられる。つまりアイドル・ポップスの歌い手が大人の世界を歌い始めるときの契機としてサンバを導入しているというわけだ。それは「夏」「陽気」「開放的」といったキーワードではなく、サンバの持つ情熱的な官能性に焦点をあてたものであった。特に終盤の「アモーレ」三連発は、その後「明菜ビブラート」などと呼ばれる、振幅の激しい、うねるように母音を伸ばす彼女独特の歌唱法が顕著になった瞬間でもある。


前作「飾りじゃないのよ涙は」で井上陽水が明菜のクールに見えて繊細、という二面的なキャラクターを見事に1曲で捉え、ここで彼女の第一期は幕を閉じた。そして「ミ・アモーレ」から始まる第二期は、異国情緒やエスニック要素を加えながら、1曲ごとに異なる多様な女性像を歌っていくことになる。明菜は次作「SAND BEIGE-砂漠へ-」ではイスラム世界に挑み、86年の「ジプシー・クイーン」87年の「TANGO NOIR」88年の「MAUJ(アルマージ)」と年に1曲、扇情的なエスニック歌謡を突き詰めていく。一方で「SOLITUDE」や「Fin」では都会暮らしの女性の孤独や悲しみを歌い、カセット限定シングル「ノンフィクションエクスタシー」(86年)や88年の「TATTOO」では一層の官能性を強調した衣装で、あえてノスタルジックな作風を現代的にアップデートしたセクシー路線を極めていく。四方八方へと広がりをみせた第二期明菜世界の要素は、この「ミ・アモーレ」が起点となっているのだ。

中森明菜「スローモーション」「少女A」「北ウイング」「サザン・ウインド」「十戒」「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」「赤い鳥逃げた」

≪著者略歴≫

馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。

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