2019年02月27日
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2019年02月27日
1985年、4人のアーティストが相次いで「卒業」という同名異曲をリリースし、ヒットチャートを賑わせた。先陣を切ったのは尾崎豊である。1月21日に12インチ盤で発売された「卒業」はオリコン週間20位をマーク。続いて2月14日に発売された倉沢淳美の「卒業」は19位、2月21日発売の斉藤由貴のデビュー曲「卒業」は6位まで上昇する。しかし、この“卒業対決”で最も高いセールスを記録したのは、2月27日に発売されて1位を獲得した菊池桃子の「卒業-GRADUATION-」であった。
今年、歌手デビュー35周年を迎える菊池桃子は、1968年5月4日生まれ。中学2年のとき、親戚が経営する飲食店に飾られていた彼女の写真を見た音楽プロデューサーの藤田浩一によってスカウトされ、藤田が社長を務めるトライアングルプロに所属する。83年秋より芸能活動を開始した菊池は、学研発行のアイドル誌、その名も『Momoco』のイメージガールとして創刊号の表紙を飾り、その可憐な容姿が注目を浴びる。翌84年は3月公開の映画『パンツの穴』でヒロインを演じ、4月21日にはVAPより「青春のいじわる」でアイドル歌手としてデビュー・・・と順調にキャリアを重ねていった。
歌手・菊池桃子の魅力は何といっても、ややハスキーなウィスパーボイスであろう。聴く者を温かな気持ちにさせる柔らかなボーカルが、デビュー以来、ほぼすべての作曲・編曲を手がけた林哲司によるシティポップ調のサウンドと絶妙にマッチし、従来のアイドルポップスにはない独自の世界観を構築していた。作詞は初期のシングル5作が秋元康、その後は康珍化や有川正沙子、売野雅勇らに引き継がれていくが、一貫して彼女の清純さや繊細さを訴求する言葉が用いられていたのは、プロデューサーの藤田浩一の意向によるものだったに違いない。資生堂のイメージソングに起用された「青春のいじわる」がいきなりオリコン13位のヒットを記録した菊池は、その後も2ndシングル「SUMMER EYES」(84年7月)が7位、3rdシングル「雪にかいたLOVE LETTER」(84年11月)が3位をマーク。新作を発表するごとに人気が上昇し、84年9月に発売された1stアルバム『OCEAN SIDE』はLPチャートの1位を獲得した。シングルより先にアルバムが1位に到達したアイドルとしては、河合奈保子や中森明菜らが存在するが、それだけ音楽性の高さが評価されていた証しといえよう。
明けて85年。2月に2日連続の日本武道館公演を史上最年少(当時)で成功させた彼女は、その直後にリリースした4thシングル「卒業-GRADUATION-」で初のバラードに挑戦する。作詞は秋元康、作曲・編曲は林哲司。少し霞がかかった春の穏やかな風景を思わせる、しっとりとしたメロディとサウンドに、卒業を機に離れ離れになった“あの人”への感傷を綴った詞が乗り、本作は週間10万枚を超えるセールスで初登場1位を獲得した。この年、本作以外で週間10万枚以上を売り上げたシングルは、チェッカーズの4作と、少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」のみ。この時期の菊池桃子がいかに高い人気を誇っていたかが分かる数字であろう。なお「卒業-GRADUATION-」は3月6日に日本テレビ系で放映された、菊池主演の同名ドラマの主題歌にも起用され、最終的に40万枚に迫る、彼女最大のヒット曲となった。
現在は戸板女子短期大学の客員教授や、文部科学省初等中等教育局の視学委員を務めるなど、多方面で活躍している菊池がトップアイドルの座を確立した本作だが、実は彼女以外にも「初のシングル1位」をもたらしている。2018年までに178作のシングルで1位を獲得している秋元康と、81年に設立された日本テレビ系の映像・音楽ソフトメーカーのVAP。以後、数々のヒットを送り出した両者にとっても、「卒業-GRADUATION-」はその歴史を語るうえで欠かすことのできない楽曲なのである。
菊池桃子「青春のいじわる」「SUMMER EYES」「雪にかいたLOVE LETTER」「卒業-GRADUATION-」尾崎豊「卒業」倉沢淳美「卒業」斉藤由貴「卒業」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)、『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。
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