2019年06月07日
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2019年06月07日
3年前の2016年4月21日に57歳という若さでこの世から走り去ってしまったプリンス。
どれだけの方が彼のことを知っているか分からないが、そのホンの一部を紹介することで興味関心をもってもらえて一緒に生誕を祝うことができれば何よりだ。
1958年(昭和33年)6月7日にミュージシャンの父とシンガーの母の間に生を享ける。本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン。そう、彼の名前は産まれたときから運命づけられた歴としたものなのである。その由来は父のジャズバンド「プリンス・ロジャーズ・トリオ」からなるものだ。彼の音楽のルーツは両親にあり、ピアニストであり作曲家としての父の才能は彼に大きく影響し継承されたことと推察される。しかし、残念ながら両親の離婚にともない継父との関係が悪化、住居を転々とする不幸な幼少時を過ごすことになる。のちにバンドメンバーになる友人の自宅を間借りして学校に通う。中高時代から地元でバンド活動しながらデモテープを作りレコード会社に売り込む活動をしていた。そして1978年4月7日ワーナー・ブラザーズ・レコーズからアルバム『FOR YOU』でデビュー。そのアルバムの裏面にはこう記されている。
PRODUCED, ARRANGED, COMPOSED AND PERFORMED BY PRINCE
作詞作曲だけでなく全27の楽器を演奏。アレンジからプロデュースまで全てを彼一人で行っているのである。これは後年、バンドメンバーがクレジットに付記されるようになるが基本的には彼はその類まれなる才能と世界観をデビュー当時から発揮し、矜恃してきた姿は斌斌としている。
2015年にアルバム『HitnRun Phase Two』をリリースするまで37年間に発売された本人名義のアルバムは40枚を数える(ベスト盤を除く)。ハイペースなリリースは彼の溢れ出る才能に他ならず、本人名義だけではなく他アーティストへの楽曲提供やプロデュースなど様々な形で世に出ていた。それでも既存の販売方法だけでは追いつかず、いち早くインターネットを活用しての配信や会員制サイトの運営など一般流通には留まらないスピードで活動していたことはあまり知られていないだろう。
多作家の彼はレーベルとの確執が深まり不満が増大。更に彼の生み出した名曲の数々が本人の意向と折り合いがつかなくなったことで大きな亀裂が生じることに発展。そのため、権利を守るために自らの名前を読めない記号に改名しPrinceではないアーティストとして活動したり、頬にSLAVE(奴隷)とペイントすることでレコード会社の不当な束縛と搾取に敵対していることを広くアピールした。この90年代の自由な音楽活動を求める行動を当時、奇行と思っていた方々にはこのことを認識して理解してもらえたら幸いだ。
アーティストが好きなときに自らの想いを伝えることはいまでは当たり前のことである。しかし彼がそのことを声高に訴えて手中に収めたことで後塵を拝する多くのミュージシャンの手本になったことであろう。その一例として、2005年にニューオーリンズに未曽有の被害をもたらしたハリケーンカトリーナのチャリティシングルを被害の1週間後、レコーディングから24時間後にはリリースできたのである。
また、活動がアルバムではなくライヴ中心になることを予見していたのだろうか、2004年にはアルバムをコンサートへ来場した全員に配ることでベストセラーにした。2007年にはイギリスの新聞に付録としてアルバムを添付することにより一日でトップセールスになることなど人の先行くアイディアで驚かせて楽しませてくれた。これらの既定路線から外れたやり方を知らなかった方やついていけなかったファンがいたことも事実であろう。しかし、そんなビジネスセンスやユーモアもあったPrince。折角なので彼のサウンドやメッセージに耳を傾けてみては如何だろうか。
≪著者略歴≫
TUNA(つな):プリンス研究家 名付け親はプリンス本人。自宅兼レコーディングスタジオでもあるペイズリーパークでのライヴにてステージにあげられその名を拝命。日本盤ライナーノーツ協力6枚。新潮新書『プリンス論』(西寺郷太著)にも協力。今年1月に上梓したシンコーミュージック『プリンスと日本』は全面監修。
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