2019年05月09日
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2019年05月09日
本日5月9日は、ニューヨーク出身のシンガー・ソングライター、ビリー・ジョエルの誕生日である。1949年生まれなので、70歳。あのビリー・ジョエルが古希というのは、なんだか感慨深いものがある。というのも、僕が音楽に目覚めた十代半ばの頃、洋楽界のスーパースターといえば、このビリー・ジョエルだったからだ。
1965年生まれで、今年の誕生日で54歳を迎える自分が、洋楽を自覚的に聴きはじめたのは中学3年だった1980年。最初は、ラジオから流れてくる曲に必死で耳を傾けて、自分にとってのお気に入りの作品やアーティストを探しはじめたのだが、そんなときに突然聴こえてきたのが、“ガシャン”というガラスの割れる音ではじまるアップテンポのナンバーだった。“なんだ、コレは!”そんな気持ちで曲を聴き終えると、ラジオのディスクジョッキーによる、“ただいまお聴きいただいたのはビリー・ジョエルのニュー・ソング「ガラスのニューヨーク」でした”との紹介コメントが流れた。“これがビリー・ジョエルか、なかなかカッコイイぞ”そんな風に思ったことをボンヤリと覚えている。
その後、高校に入学すると、洋楽好きのクラスメイトと友だちになり、そいつの家に遊びにいったときに『ストレンジャー』を聴かせてもらった。このアルバムが出たのは77年で、まだ発売から4年しか経っていなかったが、モノクロのジャケット写真が印象的だったそのアルバムには、すでに“ロックの名盤”としての風格が漂っているように見えたものだ。収録曲のうち、テレビのコマーシャルで流れていて聞き覚えがあった「ストレンジャー」をはじめ、アルバム1曲目の「ムーヴィン・アウト」や美しいバラード「素顔のままで」などは、一度聴いてすぐに大好きになり、友人に頼んでカセット・テープにダビングしてもらって、ウォークマンで何度も繰り返し聴いたものだ。
80年代当時、我が国におけるビリーの人気は凄まじかった。サザンオールスターズの桑田佳祐さんもビリーの大ファンを公言し、“80年代におけるビートルズのような存在”と絶賛。共演を熱望していた。そんな桑田さんのコメントを耳にして、僕はますますビリーの音楽に惹かれていったものだ。
ファンになってから最初にリリースされた新作アルバム『ナイロン・カーテン』(82年)も、とても印象に残っている。この作品は、戦争や貧困問題などを扱ったシリアスな楽曲が多く収録されていたため、アルバムの評価をめぐって賛否両論が起き、高校のクラスでも“ビリーの新作聴いた?”という話題で盛り上がった記憶がある。そして、これに続いてリリースされたのが、ビリーにとって80年代を代表する一枚となった『イノセント・マン』(83年)で、前作でのシリアスな内容から一転してオールディーズ・ポップス風の明るい曲が並び、たちまち大評判となった。そして、このアルバムに伴なう世界ツアーの一環として84年に開催された日本武道館での来日公演で、はじめて“生のビリー”を観賞。この頃までが、僕がビリー・ジョエルの音楽にもっとも夢中だった時代だ。
ビリーのライヴを一度でも観た人なら分かると思うが、彼のステージは、とにかくパワフルである。「ピアノ・マン」「素顔のままで」「オネスティ」といった美しいバラードを歌うロマンティックなシンガー・ソングライターとしての魅力と、パワフルなロック・サウンドで観客を圧倒するロック・アーティストとしての魅力が、絶妙なバランスで同居しているのが、ビリー・ジョエルの音楽を楽しむときの醍醐味だと、僕は思う。
2000年代に入り、ポピュラー音楽からの引退を宣言し、クラシック作品を発表したりもしているビリー・ジョエルだが、そのいっぽうで、マイペースながらライヴ活動も行なっている。84年の日本武道館で聴いて感動した「あの娘にアタック」「アップタウン・ガール」「イノセント・マン」「イタリアン・レストランで」などの記憶を懐かしく思い出しながら、彼が引退してしまう前に、もう一度ステージが観れたらいいなと思う。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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