2019年06月10日
スポンサーリンク
2019年06月10日
香港のタレントとして活躍していたアグネス・チャン(本名:陳美齡)が、来日してシングル「ひなげしの花」(作詞:山上路夫 作曲:森田公一/編曲:馬飼野俊一)でデビューしたのは1972年11月25日のこと。日本語にまだ慣れていないアグネスが、「丘の上」をたどたどしく歌う姿が評判になり、アグネスの素朴で清冽なイメージはたちまち浸透した。
翌1973年には、「小さな恋の物語」(作詞:山上路夫 作曲:森田公一/編曲:馬飼野俊一)でチャート1位(58万枚)に上りつめたほか、「妖精の詩」(作詞:松山猛/作曲:加藤和彦/編曲:馬飼野俊一)は5位(27万枚)、「草原の輝き」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一)は2位(44万5千枚)と、アイドル歌手としての地位は不動のものとなった。
1974年2月25日に5枚目のシングル「星に願いを」(作詞:山上路夫/作曲:森田公一/ 編曲:馬飼野俊一)が発売されるが(チャート4位・34万枚)、このシングルを収録した5作目のアルバム『アグネスの小さな日記』(同年3月25日発売)では、当時の音楽業界に根を張り始めたフォーク系、ロック系のアーティストやシンガー&ソングライター・ブームを意識して、荒井由実などのバックとして斬新なサウンドに挑戦していたキャラメル・ママ(細野晴臣:ベース 鈴木茂:ギター 松任谷正隆:キーボード 林立夫:ドラムス)が起用されることになった。キャラメル・ママは、はっぴいえんどのメンバーだった細野と鈴木、小坂忠とフォージョーハーフのメンバーだった松任谷と林が1972年に結成したグループで、バンドというより「サウンド・プロデュース・チーム」として活動していた。
この時キャラメル・ママが参加した録音は、「ポケットいっぱいの秘密」(作詞:松本隆/作曲:穂口雄右)、「想い出の散歩道」(作詞:松本隆/作曲:馬飼野俊一…矢野顕子のカバーでも知られる)、「さよならの唄」(作詞:アグネス・チャン/作曲:アグネス・チャン)の3曲で、基本的なアレンジも彼らに一任された。前年の10月5日に発売されたチューリップの4枚目のシングル「夏色のおもいで」で職業作詞家としてスタートした松本隆を起用したのも、アグネスの制作陣がはっぴいえんど時代に松本が磨きあげた斬新な言語感覚に期待したからで、松本にとっても初の「歌謡曲」への挑戦となった。ただし、キャラメル・ママと松本は当初からパッケージで起用されたわけではなく、それぞれ別個に起用されたとのこと。同じプロジェクトに参加していることは、レコーディングが動きだしてから初めて気づいたという。
「ポケットいっぱいの秘密」は1974年6月10日にシングルとして発売されたが、これはシングル・バージョンであり、アルバム・バージョンとはかなり異なっている。
アルバム・バージョンは、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールドあたりを意識したような鈴木茂のカントリー・タッチのギター・ソロで始まり、細野のフラット・マンドリンが、まるではっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」のごとく弾けている。間奏部分では、大滝詠一『ナイアガラ・ムーン』(1975年)に直結するような松任谷のラグタイム風、ニューオリンズ風のピアノが炸裂する。軽快かつタイトな細野のベースと林のブラッシング・ドラムが骨格を支えていることはいうまでもない。あらためて聴くと、細野が最近のステージで展開するサウンドに酷似している。驚くほど深みのあるサウンドで、何度聴いても飽きることはない。
シングル・バージョンは、おそらくは駒沢裕城(当時はちみつぱい)が弾いていると推定されるペダルスチールギターがイントロを飾る。これは、1970年代初めの日本の洋楽シーンを席巻していたカーペンターズの大ヒット「トップ・オブ・ザ・ワールド」などを意識した演出で、アルバム・バージョンにはない仕掛けだ。ペダルスチールに鈴木のギター、細野のフラット・マンドリンが絡むところもおもしろい。ここでも松任谷はラグタイム風ピアノに挑んでいるが、アルバム・バージョンよりも薄めの仕上がりだ。細野のベースと林のドラムはシングル・バージョンでもしっかりとした屋台骨になっている。中盤以降、東海林修の編曲によるストリングスが被さってくるが、キャラメル・ママの醸しだすバンド・サウンドとの相性はけっして悪くない。
アグネスの歌唱も、キャラメル・ママのサウンドに調和していて違和感はない。アグネス自身もこの作品の直前に、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」をアルバムでカバーしていたから、気持ちよく歌えたのではないかと思う。ただし、同じくキャラメル・ママが参加した「想い出の散歩道」と「さよならの唄」でのアグネスの歌唱はサウンドに力負けしており、「ポケットいっぱいの秘密」の完成度には遠く及ばない。そこは残念なところだ。
この「ポケットいっぱいの秘密」は、先にも触れたように1974年6月10日にリリースされたが、セールス的にはチャート・アクション最高位6位、売上げ枚数22万3千枚と、以前のシングルよりいくらか見劣りするものとなった。
とはいえ、この作品をきっかけに松本隆の作詞力は業界で高く評価されるところとなり(歌詞の途中に先頭の文字を拾うと「ア・グ・ネ・ス」となる節句が織りこまれていることも有名)、以後、アグネスと同じ渡辺プロダクションに所属する作詞家として数々のヒット曲を手がけていく(ナベプロとの専属契約ではない)。
キャラメル・ママはその後ティン・パン・アレーと改称して活動の場をいっそう広げることになるが、1970年代終盤に始まるYMOプロジェクトのひとつの原点が、この「ポケットいっぱいの秘密」の成功によって準備されたことも疑いのないところだ。
アグネス・チャン「ひなげしの花」「小さな恋の物語」「ポケットいっぱいの秘密」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
篠原章:批評.COM主宰・評論家。1956年生まれ。主著に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、主な共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。沖縄の社会と文化に関する著作も多い。
1973年8月21日、南沙織「色づく街」がリリースされた。70年代アイドルの先陣を切った彼女のレパートリーの中でも、とりわけ季節感に満ちたナンバー「色づく街」は秋を感じさせるアイドル・ポップスの...
1975年8月1日、平山三紀(現表記は平山みき)の「真夜中のエンジェル・ベイビー」が発売された。CBSソニー移籍後の第3弾として発売されたシングル。引き続き橋本淳=筒美京平コンビによる作品だが、...
1978年7月25日、岩崎宏美のシングル14作目にあたる「シンデレラ・ハネムーン」が発売された。のちにコロッケのモノマネで有名になるこの曲は、当時大流行のミュンヘン・サウンドを歌謡曲に取り入れた...
1971年にデビュー、「グッド・バイ・マイ・ラブ」「ラ・セゾン」「六本木心中」など数多くのヒットを持ち、長期間にわたる活躍とともに、多くのファンに愛されたシンガー、アン・ルイス。本日6月5日は歌...
キャンディーズのシングル「夏が来た!」がリリースされたのは1976年5月31日のこと。「春一番」と同様に、作詞・作曲・編曲は穂口雄右。この曲はそもそも同じ渡辺プロに所属していた青木美冴のために作...
1973年5月1日、南沙織「傷つく世代」がリリースされた。デビュー3年目の春にリリースされた通算7枚目のシングルである。作曲・筒美京平に作詞の有馬美恵子を含めたチームのコンビネーションはこの年絶...
1973年4月30日、麻丘めぐみの4枚目のシングル「森を駈ける恋人たち」が発売。翌日5月1日には南沙織「傷つく世代」がリリースされ、奇しくも同じ筒美京平作品による争いとなった。ここでは黄金期を迎...
1971年2月5日に発売された天地真理のセカンド・シングル「ちいさな恋」は、デビュー曲に続きヒット。3月13日のチャートで初の1位を獲得し、4月3日には4週連続の1位を記録した。この次のシングル...
1983年12月19日、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。彼女にとってはデビュー曲「雨の御堂筋」に続く1位作品であり、現在も愛される代表曲として...
故郷の香港で芸能活動を始めた後、日本でも1972年に「ひなげしの花」でデビューしてトップアイドルの仲間入りを果たしたアグネス・チャン。次々とヒットを連ねる中、4枚目のシングル「小さな恋の物語」で...
1980年6月1日、「No.1」でデビュー。その年の新人女子アイドル・レースにおいては、松田聖子、河合奈保子を追う第3ランナー群の一人として、あまり目立たない位置にいたと言える柏原よしえだが、8...
独特のハイトーン・ヴォイスと、ミニスカートにハイソックス。マイクを両手で持って懸命に歌う愛くるしい姿。本日8月20日はアグネス・チャンの誕生日。彼女の登場は70年代日本のアイドル・シーンに衝撃を...
1976年5月1日、沢田研二の「ウインクでさよなら」がリリースされた。沢田のソロ・シングルとしては通算16作目にあたる。作曲はこれまで「危険なふたり」「追憶」などを手がけてきた加瀬邦彦だが、作詞...