2019年08月16日
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2019年08月16日
マドンナの登場と活躍は、ポップ・ミュージック・シーンの何を変えたのであろうか。彼女の存在は、女性アーティストの在り方に劇的な変化をもたらせた点で限りなく大きいものに思える。
マイケル・ジャクソンにプリンス、そしてマドンナ。1980年代以降のポップ・ミュージック・シーンに革命的な業績を残した3人のスターは同じ年に生まれている。奇跡の58年組といったところか。ミシガン州デトロイト近郊のベイ・シティ出身のマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネは5歳で母を癌のために失くす。8人兄妹の3番目だったこともあってか、家事をこなしながらも早い時期より自立の道を探り、ピアノやダンスを学んでいる。
ミシガン州立大学の舞踏過程を1年で中退すると、”(伝説的な)35ドルだけを手に”ニューヨークに向かった。77年、19歳の年だ。ベルギーのディスコ・アーティスト=パトリック・ヘルナンデスのヨーロッパ・ツアーにダンサーとして参加し半年間パリに滞在するなど、経験を積む。イースト・ヴィレッジに戻ると生計のためあらゆる仕事をこなした。ディスコ・ミュージックが下火となり出したこともあり、ロック・バンド=ブレックファスト・クラブのドラマーを経て、改めて隆盛を示し始めたクラブ・シーンへのアプローチを試み、大手ワーナー・ブラザーズ傘下サイアー・レコードと契約を得ると、82年10月にデビュー曲「エヴリバディ」を発表する。凄絶な苦闘に明け暮れた下積み時代こそが、彼女の野心を掻き立て不屈の意志を育んだと考えられる。
登場時のマドンナがすでに携えていたのが、一過性の大ブームだったディスコを継承しクラブ・ミュージックの核を成すスタイルであった。そしてそれは80年代以降のポップ・シーンの潮流において重要なものとなる。彼女はその牽引役のひとりだった。83年7月のファースト・アルバム『バーニング・アップ』はダンスフロアでの需要を満たすと同時に「ホリデイ」「ボーダー・ライン」「ラッキー・スター」とラジオでのヒットを生み、全米アルバム・チャート第8位の成績を残した。
ダンス・ミュージックの新人女性から明確にスターのキャラクターを打ち出したのが84年11月の『ライク・ア・ヴァージン』以降だ。初の全米第1位となったタイトル曲を始め、4曲がトップ10入りを果たす。早くから俳優の仕事をも視野に入れ『マドンナのスーザンを探して』にも出演していた彼女は、ゲストで出た『ビジョン・クエスト~青春の賭け』からのバラード「クレイジー・フォー・ユー」で2曲目の全米No.1を獲得した。
85年は初のヘッド・ライナーとなった”ヴァージン・ツアー”によってライヴ・アクトとしても大成功し、その夏の大イベント=ライヴ・エイドへの出演直後、誕生日に俳優ショーン・ペンと電撃結婚するなど話題を振りまき続けた。80年代後半、第3作『トゥルー・ブルー』に、映画は『上海サプライズ』と『フーズ・ザット・ガール』、先駆的リミックス・アルバム『YOU CAN DANCE』、ウォーレン・ベイティと共演した『ディック・トレイシー』とタイトル曲の宗教的題材が波紋を呼んだ『ライク・ア・プレイヤー』と、まさしく時代を駆け抜ける。スーパー・スター像を確立してからのマドンナは、『エロティカ』『レイ・オブ・ライト』『ミュージック』『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』といったアルバムでも、『BODYボディ』『エビータ』などの映画でも、常に挑戦を止めず、その都度大きな決定を自分自身で下してきた。
時代と共にサウンドの潮流が変わり、メイン・マーケットのティーネイジャーたちが代替わりしても、マドンナは最先端の手法と明確なメッセージを打ち出して社会に対峙し自身のアイデンティティーを揺るがぬものにし続け、いつしかそれがマドンナをマドンナたらしめる巨大なイメージになっていった。それはエスニックな要素とエレクトロニックなサウンドを大胆に咀嚼した最新作『マダムX』でもまったくブレていない。マドンナはずっと、政治や宗教、貧困、疾病、様々な偏見といった人々を抑圧する要因からの解放を訴えてきた―彼女だけの表現手段を用いて。そうした独立した精神性を糧に人生を切り拓く姿勢は、マドンナ以降の女性アーティストを変えたはずだ。
2010年代も終わりに近づく今日、音楽的およびファッション的な部分でもマドンナの後継とされるレディー・ガガを始め、ビヨンセやリアーナ、ケイティ・ペリーからテイラー・スウィフトまで、自らを明確にプロデュースし、同性を勇気付け同胞に絶大な影響を与える女性スターはシーンに欠かせない存在となり、エンタテイメントの世界全体を豊かなものにしている。彼女たち全員をマドンナと重ねるのは無理があるかもしれない。だがマドンナが決して小さくない起点になったのは確かだと思う。
マイケル・ジャクソンとプリンスが、まったく思いもよらない形で早逝したのは残念でならない。2019年8月16日、マドンナは61歳を迎える。
≪著者略歴≫
矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。
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