2019年08月15日

8月15日はシルヴィ・ヴァルタンの誕生日

執筆者:サエキけんぞう

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8月15日は、シルヴィ・ヴァルタンの誕生日。シルヴィ・ヴァルタンはフレンチ・ポップというジャンルを代表するオーセンティック(純正、正当)な歌手である。


彼女の登場以前、エディット・ピアフ、ダミアなどの女性シャンソン歌手がフランスの主流であった。しかし彼女がリセ在学中の1961年、17歳での1stシングル「La panne d'essence(恋のハプニング)」(「アウト・オブ・ガス」フロイド・ロビンソンのカバー)は典型的なアメリカン・ポップスで、フランス流のロックンロール・ブーム「イエイエの時代」の到来、そして60年代に始まるフレンチ・ポップの時代を華々しく予告したといえよう。


その時はまだ、ヘレン・シャピロのような初々しいミニ・ビーハイブ・ヘアをしていた彼女だが、62年の2ndシングル「ロコモーション」(リトル・エヴァのカバー)の頃には、横分けにしてアメリカン・アイドル・スタイルから次第に脱却を開始した。


3枚目のシングル「Tous mes copains(おセンチな17才)」(63年)がフランスでの最初の大ヒットとなる。「copains(友達)」という言葉が音楽雑誌『サリュ・レ・コパン(Salut les copains)』(フランス版「明星」か?)と提携したと思われる。63年に同雑誌の1周年記念に開催されたパリ・ナシオン広場でのコンサートには男性トップ・アイドル、ジョニー・アリディも出演した。トップ・イエイエ・アイドル2人の出演に、何と15万人の若者が集まったという。これは記録に残っている中では、ウッドストック以前のライヴで最大の動員と思われる。


1963年のフランスで、米のエルヴィス・プレスリー登場以来のロックンロール・ブームが、イエイエというアイドル・ポップ・ブームとして爆発した。


シルヴィの初期のキャッチィなルックスとなる横分けを秘めた美しいボブ・ヘアーが完成するのは、64年の4枚目のシングル「アイドルを探せ」の頃だ。シャルル・アズナブール作である秀逸な米ポップ風バラードのこの曲で、世界的な美少女アイドルとして、日本でも大ヒットすることになる。


『アイドルを探せ』(63年)は、ミシェル・ボワロン監督作の文字通りのアイドル映画でもあり、そこには夫となるジョニー・アリディも出演する。そしてアイドル現象の双頭の雄である21歳のアリディと65年4月に人気絶頂20歳で結ばれた(80年離婚)。66年に一人息子でシンガー・ソングライターのダヴィド・アリディも誕生する。


結婚時の活動も旺盛で、65年5月世界ツアーの一環で初来日。羽田空港に千人ものファンが殺到。ビートルズ来日以前に日本ではポップ・スターを求めるポテンシャルが高まっていたことを物語る。この歓迎に気をよくしたヴァルタンは、今日に至るまでに親日家となり、数え切れない来日回数を誇る。またこの来日時に制作されたレナウンの「ワンサカ娘」(小林亜星作曲)のTVCMを歌い、大ヒット、お茶の間で有名になる。ここでは「イエイエ」という歌詞が連呼されている。


ここで彼女の出自を紹介すると、ブルガリア生まれのスラブ系。祖父・父親・兄がピアノなど楽器演奏をする芸術一家。7歳年上の兄エディ・ヴァルタンはジャズ・トランペッターであり、RCAの音楽プロデューサー。61年春、エディの制作途中に降板したイギリス人女優の代役として、シルヴィが抜擢されての歌手デビュー。


転機となったのは68年「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」(日本は69年発売)だろう。ここでは以後、彼女に多くを提供する作曲のジャン・ルナール(Jean Renard) がファルセットを含む高音に挑戦させ、それが見事に成功、エコーをたっぷり使用した幻想的で奥行きのある編曲と、甘く品の良いメロディーがフレンチ・ポップならではのキャッチーな品格を作り出したのである。


68年は、ジャズやロックが大好きな後輩の大ライバル、フランス・ギャルが、サイケデリックに走った後に一段落ついてしまう年。世界的にサイケ・ムーブメントが高まった68年に、ブームやジャンルに囚われない「オーセンティック」な持ち味の大ヒット曲を持ったことが、ヴァルタンの歌手としての生涯を決定した。


ルナールは「優しく親切な振る舞い、ダンスで披露される優美な女性らしい身体、独特のハスキー・ヴォイス。彼女は多彩な面を持つダイアモンドであり、スラブ人である真実に深いものがある」と評している。彼女が一介のアイドルで終わらなかった品格がここに説明されている。


現在でも彼女のライヴに行けばわかることだが、クロード・フランソワやジャック・デュトロンといったイエイエ同期の男性ライバル達と同様、黒人R&Bに深く傾倒しており、60年代末から70年代にかけてはモータウン系などの有名ヒットのカバー曲も多い。音楽に留まらず1970年ニューヨークで黒人ダンサー、ジョジョ・スミスのダンス・スタジオ通いをし、フランスでは画期的となったモダン・ダンスを取り入れたオランピア劇場公演を行ったことが、パフォーマンスの転機ともなった。


1973年にはインタビューで「私は一歌手だと思っていない、ステージで一連の多彩な要素を見せたい。観客は多面的なスペクタクルを心待ちにしている。」と語っており、明確に80年代以降の松任谷由実のショウの先達となっていたことが伺われる。


70年代前半は米国シンガー・ソングライター・ブームの曲調も取り入れ、77年にはシングル「ディスコ・クイーン」で、しっかりディスコ・シーンを構築。さらに70年代末には、テクノ・ブームも器用に取り入れ、流行へのギア・シフトは完璧といっていい。その一方で、ジャック・ブレルのようなクラシック・シャンソン曲もしっかりおさえているため、オーセンティックな持ち味には全くブレがない。2010年代には、ゲンスブール系のテイストで、日本でも話題になったケレン・アンをもブレーンに取り入れている。


今年74歳のシルヴィは、昨年2018年に東阪の来日公演を成功させたばかり。明晰なスタッフに囲まれたその人生は、60年代以降のポップスの世紀を総覧する気迫に満ちており、そのキャリアの長さと安定性は、米国スターを凌ぐほどである。


ところで、ウルトラマンの人気怪獣「バルタン星人」の名前は、60年代にテレビで『シルヴィ・バルタン・ショウ』を観ていた円谷英二が名付けたと俗説が流れていたが、2013年に「ウルトラマン」監督の飯島敏宏とシルヴィの対談で、飯島がバルタン星人と命名したと告白。「紛争地帯だったバルカン半島のように、大変な状況で故郷がなくなりつつあるバルタン星から来たという設定。しかし、説明が難しいということになり、宣伝効果なども考慮した結果、人気のシルヴィ・ヴァルタンから取ったことにしよう、と会議で決定した」という真相が語られた。

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」「ディスコ・クイーン」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を上梓。2018年4月パール兄弟『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。2019年6月パール兄弟『歩きラブ』リリース。

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哀しみのシンフォニー~70s ベスト シルヴィ・バルタン 形式: CD

ベスト・オブ・シルヴィ・バルタン シルヴィ・バルタン 形式: CD

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