2019年08月26日
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2019年08月26日
歌手・千昌夫の代表作といえば、「星影のワルツ」と「北国の春」が挙げられるだろうが、スター歌手としてのポジションを築いた初の大ヒット曲「星影のワルツ」の存在意義は大きい。創設間もないオリコンのシングルチャートでは1968年4月29日付で8位に入って初のトップ10入りを記録し、6月3日付で1位を獲得。7月8日付にてザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」に首位の座を受け渡すも、8月19日付にて1位に返り咲き、その後10月7日付まで24週にわたりトップ10をキープした。歌謡史に輝く傑作「星影のワルツ」がチャート首位に返り咲き、2週連続の獲得となった8月26日から今日でちょうど51年。実は1966年に発売された曲だったことはご存知であろうか。
岩手県出身の千昌夫のデビューは1965年。作曲家・遠藤実の内弟子としてレッスンを受けた後、氏が興したレコード会社ミノルフォンから9月5日に「君が好き/銀座かぐや姫」でデビューした。セカンド・シングルの「若い恋人たち」はブーム真っ只中だったエレキ歌謡で勝負するもヒットには及ばず、その後も同じレーベルの富数彦、浜君夫と共に“学生トリオ”として、「学生マーチ」や日本万国博覧会の歌「パットネ」などをリリースしていたが、1967年の秋頃から、前年リリースの「君ひとり」のB面に収められていた「星影のワルツ」が徐々に人気を集め始める。
なにより千昌夫自身が曲を気に入って歌い続け、自ら有線にリクエストを重ねた賜物であったという。1966年3月の発売から2年が経った頃、「星影のワルツ」をA面に、ジャケットデザインも一新されたシングル盤が出荷されていよいよヒットに拍車がかかる。1968年4月には遂にオリコントップ10入りし、6月にはザ・タイガース「花の首飾り」を抑えて首位を獲得。その週のトップ10には、ザ・テンプターズ「神様お願い!」、ザ・ワイルド・ワンズ「バラの恋人」などがひしめいていた。結果的に1968年の年間1位、公称200万枚を売上げており、グループサウンズ全盛時における歌謡曲の超特大ヒットであった。
作詞の白鳥園枝は、戦前に民衆派詩人として活躍した白鳥省吾の次女で、彼女が参加していた同人誌『こけし人形』に収録されていた四行詩「辛いな」を基に作られたのが、主人公の心情がストレートに表現された「星影のワルツ」の詞である。当時は紅顔の青春歌謡歌手だった千昌夫の真摯な歌唱ぶりが絶妙に填ったといえるだろう。白鳥の他の作品には、田端義夫と西崎緑が歌った「さよなら船」や、島津ゆたか「花から花へと」など、詩人らしい情緒豊かな言葉遣いに特徴がある。千昌夫が1969年11月に出した「花のワルツ」もやはり白鳥の作詞、遠藤実の作曲で、「星影のワルツ」の続編ともいうべき作品。
その後も、1977年から79年にかけてのロングセラーとなった「北国の春」をはじめ、「望郷酒場」「津軽平野」など多くのヒット曲がある千昌夫はこれまでに計16回『NHK紅白歌合戦』に出場しているが、そのうち6回も歌われた「北国の春」に対して、「星影のワルツ」が歌われたのは意外にも初出場となった1968年のステージのみ。「北国の春」はもちろん素晴らしい作品であるけれども、「星影のワルツ」はそれ以上に万人から愛される要素を備えた楽曲である。歌手・千昌夫をスターダムにのし上げた掛け値なしの名曲は、歌謡スタンダードとして令和の時代にも歌い継がれてゆくはずだ。
千昌夫「君が好き」「君ひとり」「星影のワルツ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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