2019年08月27日

1979年8月27日、さだまさし「関白宣言」が5週連続でオリコン1位を獲得~女性蔑視の歌なのか?

執筆者:前田祥丈

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さだまさしがソロになってから8枚目のシングル「関白宣言」を発表したのは1979年7月10日のこと。6分20秒という長尺の曲にもかかわらず、そのテーマの斬新さもあって「関白宣言」は大きな話題となった。そして「関白宣言」は、同年8月に創刊された専門誌『オリジナルコンフィデンス(オリコン)』誌のウイークリー・シングルチャートで1位にランクインして以来、10月初頭号まで1位にとどまり続けるなど、約160万枚を売り上げるさだまさしにとって最大のシングルヒット曲となった。


しかし、同時に「関白宣言」は、さだまさしにやっかいな問題を持ち込む曲ともなった。


1973年にフォークデュオ、グレープでデビューして「精霊流し」「無縁坂」などをヒットさせ、76年にソロとなってからも「雨宿り」「案山子」などロマンティシズムあふれる曲を発表し、抒情フォークの旗手としてクローズアップされていった。「関白宣言」は、そんなさだまさしのイメージを大きく覆す曲だった。


「関白宣言」が発表される前年の1978年には、庄野真代の「飛んでイスタンブール」、渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」などがヒットし、〝翔んでる女〟が流行語になるなど、1960年代に世界的に台頭したウーマンリブ運動に刺激を受けた女性の意識の高まりが、日本でも一般に浸透していった時代だった。歌謡曲の世界でも、山口百恵の「イミテイション・ゴールド」(77年)、「プレイバックPart2」(78年)など、強い意思を感じさせる女性の歌が脚光を浴びていった。


女は、男の願望を従順に受け入れるだけの存在じゃない。


そんな意識が社会全体に広がろうとしている。まさにそんなタイミングに発表された「関白宣言」は、一部から〝女性蔑視の歌〟として問題視されることになった。


確かに一見すると、結婚する相手の女性に対して、一方的に従うように強要する亭主関白宣言の歌のように受け止る人がいてもしょうがないようにも思える。


けれど、それはこの歌の歌い出しだけを聴いて早とちりした感想に過ぎない。曲を聴いていけば、この歌がけっして女性蔑視をしているのでもなければ、妻となる女性に犠牲を強要しているわけでもないことはわかってくる。主人公は、亭主関白というイメージを比喩として使いながら、実は、自分が新たな家庭をもつということについての自分の覚悟を再確認しているのだ。だから、一見強気に見える言葉の中から、相手に対する思いやりや真摯な姿勢がにじみ出てくる。そういう一筋縄ではいかないつくり方がされている曲なのだ。


けれど、マスコミ的には、楽曲としての機微よりも、〝さだまさしの「関白宣言」に女性団体が抗議〟というセンセーショナルな見出しの方が話題になる。ということで、「関白宣言」は女性差別の歌、さだまさしは女性差別主義者、というレッテルが貼られることにもなった。


実は、そこにも大きな誤解があったのではないだろうか。「関白宣言」が女性差別の歌かどうかという以前に、この曲はさだまさしの〝私小説〟として書かれたものではない、ということが理解されていなかったことが、この騒動の大きな要因だったんじゃないかと僕は思う。


冒頭に書いたように、当時のさだまさしは〝叙情フォーク〟の旗手と呼ばれていた。そして、多くのリスナーは、フォークとは歌い手が自分の心情を正直に吐露する歌だと考えていた。しかし、実はさだまさしは非常に作家性の強いシンガー・ソングライターなのだ。もちろん彼の歌には、自らの体験や想いが反映されている。しかし彼の作品は、その思いがそのまま言葉になっているのではなく、さまざまなストーリーに託された形で表現されているものが多い。だからそれは、フィクションに託してリアルを表現しようとする作家の姿勢に通じるものがあったのだ。


だから、「関白宣言」の主人公の言葉も、それがそのままさだまさしの考え方なのではなく、女性の地位が上がってきた79年の時点でも、男性の心に残っていたいささか旧弊な夫婦観を引用することで、時代の空気感を逆に印象付けようとしたのではないかと思う。


しかも、この曲をよく聴いていると、もしかしたらこの主人公は、実際にはこの言葉を、妻となる女性には伝えていないんじゃないかとも思えるのだ。というのも曲の冒頭、主人公は〝言っておきたいことがある〟とは書かれて行いるが、〝言う〟とはなっていない。いくら保守的な夫婦観を持っていたとしても、実際にいきなりこれを言い放つとしたら、よほど勝手な男だろう。さすがにこの主人公は、そこまで空気の読めない男ではない。だから、「関白宣言」は、結婚を前に、自分の本音を一度噛み締めつつ、自らの覚悟と相手への誠実を誓う。そんな男の心の声の歌だったのではないか。僕はそう思っている。


さだまさしを巡る激動は「関白宣言」だけに留まらなかった。翌1980年には日露戦争をテーマとした映画『二百三高地』の主題歌「防人の詩」を発表し、好戦的という批判を浴びた。さらに自らドキュメント映画『長江』を制作し、膨大な借金を背負うことにもなった。


こうした、さだまさしにとって激動の時代は、今から振り返れば、「関白宣言」への誤解から始まったとも言えるのではないだろうか。


1994年、さだまさしは自ら「関白宣言」のアンサーソング、「関白失脚」を発表した。一度は〝関白宣言〟を胸にした男の行く末を、笑い、そして共感とともに描いた「関白失脚」を聞けば、「関白宣言」に託したさだまさしの思いが、自らの人生経験と共鳴して、より身に沁みて感じられるだろう。

グレープ「精霊流し」さだまさし「防人の詩」「関白失脚」庄野真代「飛んでイスタンブール」ジャケット撮影協力:鈴木啓之






≪著者略歴≫

前田祥丈(まえだ・よしたけ):73年、風都市に参加。音楽スタッフを経て、編集者、ライター・インタビュアーとなる。音楽専門誌をはじめ、一般誌、単行本など、さまざまな出版物の制作・執筆を手掛けている。編著として『音楽王・細野晴臣物語』『YMO BOOK』『60年代フォークの時代』『ニューミュージックの時代』『明日の太鼓打ち』『今語る あの時 あの歌 きたやまおさむ』『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』など多数

さだまさしベスト さだまさし 1994/12/20

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