2015年06月15日
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2015年06月15日
今から48年前(1965年)の今日6月15日は、ザ・ゴールデン・カップスがシングル「いとしのジザベル」でデビューした日である。
1966年11月、横浜を拠点とするバンド「スフィンクス」のリーダーだったデイヴ平尾(ヴォーカル)を中心に、エディ藩(リード・ギター)、マモル・マヌー(ドラムス)、ケネス伊東(ギター)、ルイズルイス加部(ベース)の5人で結成された「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」は、米軍の居留地であった横浜・本牧のクラブ『ゴールデン・カップ』の専属バンドとして活動をスタート。米兵や音楽ファンたちの間で、その日本人離れした本格的なサウンドが話題となり、やがて口コミで同時代のGSや音楽業界人にも伝わっていった。当時夜毎横浜に出没してはグループ・アンド・アイのメンバーたちとも交流のあった黛ジョンもそんなひとりで、彼女は所属する東芝レコードのスタッフに彼らを紹介。こうして東芝からのレコード・デビューが決まったのである。
デビューに際し、グループ名は拠点としていた店名にちなんで「ゴールデン・カップス」と改名。そして、横浜出身バンドということでバタくささ、異国情緒をアピールしようと思ったのだろう、メンバー全員ハーフとして売り出すことに。しかし実際ハーフのメンバーは、フランス系米国人の父と日本人の母を持つルイズルイス加部だけで、あとは日系米国人のケネス伊東と中国人のエディ藩を除いて全員両親は日本人だった。無茶なプロフィール偽装だったが、彼らの卓越した演奏テクニックと本場っぽいムード、本人たちのルックスなどもあって、この偽装は長らくバレることなく、現在もカップスをハーフのバンドと信じて疑わない人がけっこういるのも事実だ。
デビュー曲として用意されたのは、黛ジュン「恋のハレルヤ」のヒットで注目されていた新進気鋭の作曲家・鈴木邦彦と、同じく「恋のハレルヤ」の作詞を手がけたなかにし礼による「いとしのジザベル」。今でも記憶しているのは、当時中学1年生だった筆者が初めてラジオでこの曲を聴いた時、歌手名も曲名も知らなかったので、てっきり坂本九の新曲だと思ったことだ(笑)。グループ・サウンズと呼ばれ始めたバンドたちが増えて、ラジオやTVでもそのテの音楽が流れていた時期なので、「坂本九も時流に乗ってこういう曲を歌うようになったのか」と子供心にも感じたものである(生意気だね)。
後年、カップスのドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』(2004年)の製作に関わった筆者は、この件をデイヴ平尾さんに話したことがある。すると彼は面白いエピソードを披露してくれた。それまで洋楽カヴァーばかり歌ってたデイヴ親分、初めての日本語オリジナル曲をどのように歌ったら良いのか解からず、困ったあげく閃いたのが、同じ東芝レコード所属の坂本九。彼の唱法を参考にしたというのである。なんと、中坊だった筆者の直感はあながち的外れではなかったのだ!
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