2018年06月22日
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2018年06月22日
エディ潘(本名、潘広源、エディは洗礼名エドワ-ドより、愛称はコウちゃん)は、1947年6月22日、中華料理のシェフとして著名だった父親(中国広東省出身で横浜・中華街の料理店、”鴻昌”のオ-ナ-)と神戸で生まれ育った中国人女性の長男として横浜で誕生している。お店の隣が戦後、米軍の将校クラブとして接収され毎晩のように開かれたダンス・パ-ティ-から聴こえてくるグレン・ミラ-やベニ-・グッドマンのジャズ・ナンバ-を子守歌代わりに育ったという。偶然ながら関東学院中学で教わった教師がギタ-の名手だったことから、自然にギタ-を手にするようになっていた。小学校はアメリカン・スク-ル(セント・ジョセフ校)に通ったことで英語が堪能だったので、’64年の東京オリンピックで通訳ボランティアを経験している。この時、五輪イベントの一環として開催された音楽イベント”世界サ-フィン・パレ-ド”にも通訳として参加、来日していたリヴァプ-ル・ビ-トルズ(リヴァプ-ル・ファイブが変名告知されていた)のメンバ-から、ギタ-とアンプの間につなぐ、サウンド変換器を購入して自分流のエレキ・サウンドを追及するようになった。
当時横浜の小湊町にあった米軍基地内にはティーンネイジ・クラブがあってレストラン、ボーリング場の他、図書館にはオ-ディオ装置やレコ-ド、楽器が揃えてあった。エディは同世代のアメリカ人と親しくなったことで基地内に自由に出入りしていた。この経験は後にドキュメンタリ-映像化された映画『ワン・モア・タイム』(製作、アルタミラ・ピックチャ-ズ)でテ-マとして掲げられた”フェンス越しのアメリカ”として語り継がれることになる。ここで、同世代の日本人には考えられない米国の最新ヒットや流行のファッション・スタイルをエディは日々、情報として得ながら次第にギタ-の腕前を上げていく。この頃、基地内で米軍の将兵の子息たちで結成された、ブラインド・レモンというブル-ス・バンド(メンバ-の一部が後にザ・リ-ドに参加)を見て衝撃を受けていた。折しも’65年のエレキ・ブームによって誕生したTVのエレキ・コンテスト番組に出場することになり、エディは平尾時宗、小林輝雄らとファナティックスを結成している。キンクスやヤ-ドバーズのブル-ス・ナンバ-でエントリ-するも、審査員の先生方が理解できないとの理由から急遽、ベンチャ-ズ・ナンバ-を演奏することになった。
大学入学後、エディを待ち受けていたのは、激化していた学生運動で授業が毎日のように休講となり、ぼんやりと過ごす日々が続く。
やがて一念発起して、エディはアメリカ旅行を敢行する。米国内の各都市で様々な音楽体験の後、最後に訪れたサンフランシスコで平尾と偶然にも再会している。帰国後、平尾から新しいバンド結成の相談を受けたことを契機に、ザ・ゴ-ルデン・カップス(出演していたバ-・ラウンジの名前から命名、メンバ-はエディ以外、平尾時宗
その後エディのバンド脱退やメンバ-・チェンジの後、'72年にはバンドとしての活動を停止している。エディは各プロジェクトでの活動を経て、80年にはアルバム『ブル-・ジェイド』(東芝EMIWTP-90151、石坂敬一プロデュ-ス、名曲”横浜ホンキ-トンク・ブル-ス”をクリエ-ションをバックに収録)をリリ-スしている。2000年代になり制作された前述の『ワン・モア・タイム』では、エディたちの歴史や音楽の魅力、そして生き方に至るまで、各方面で活躍する方々から率直な証言、コメントが多数記録されていて興味深い。
昨年、70歳を迎えたエディ潘の誕生日パ-ティ-・ライブ(ドラムを担当した樋口昌之氏
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