2015年11月15日
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2015年11月15日
1967年6月15日、「いとしのジザベル」でデビューしたザ・ゴールデン・カップスは、7月21日の新宿『ラセーヌ』出演を皮切りに、『銀座ACB』『新宿ACB』等、東京のジャズ喫茶に進出し、本拠地・横浜から活動範囲を拡げていった。ちょうどザ・タイガースの爆発的な人気をきっかけに、「グループ・サウンズ(GS)」と芸能誌から命名された和製ビート・グループたちが続々とデビュー。数多のバンドたちが鎬を削る中で、横浜という当時最もトレンディなカルチャー発信地で、米軍基地の兵隊相手に腕を磨いてきたカップスは、その卓越した音楽センスとテクニック、そして独特のキャラクターで新人ながら異彩を放ち、先輩格のスパイダースをはじめ他のGSを圧倒していくのである。
しかし、あまりにも異色の存在だったせいか、67年8月26日~9月1日に開催された第33回『日劇ウエスタンカーニバル』に初出場した際、彼らの出番となった途端、それまで熱狂的な少女たちの嬌声に包まれていた会場が静まり返ったという逸話も残っている。この時、彼らが演奏したのはデビュー・シングルのカップリング2曲(「いとしのジザベル」「陽はまた昇る」)とブルース・ナンバー「モージョ・ウォーキン」。客席の多くを占めていたであろうタイガースやワイルド・ワンズ、同じ初出場組のフォーリーブスのファンたちの戸惑う表情が容易に想像できる。ちなみに初出場組にはレコード・デビュー前のテンプターズもいて、ストーンズの「サティスファクション」「一人ぼっちの世界」等を演奏している。
ジャズ喫茶ではもっぱらゼム、ヤードバーズ、スペンサー・デイヴィス・グループ、ウィルソン・ピケット、オーティス・レディング等の英米ロック/R&B作品を中心に演奏。海外の最新音楽情報が半年近いタイムラグで入って来る当時の日本の状況において、横浜・本牧の<地の利>を武器に音楽トレンドを常にキャッチできる環境にあった彼らのレパートリーの大半は、まだ日本人の誰も聴いたこともないような新しいマニアックな楽曲ばかりだった。そして、自分たちのデビュー・シングル2曲を演奏することは決して無かった(その後のシングル曲も演奏されることは滅多になかった)。その理由は簡単で、リーダーのデイヴ平尾曰く「嫌いだったから」。
日本語オリジナル曲に馴染めないカップスだったが、今から48年前の今日1967年11月15日、2ndシングルをリリースする。A面は、当時タイガース、ブルー・コメッツ、ヴィレッジ・
この驚異のベース・ラインは作編曲者の鈴木邦彦から指示されたものではなく、加部本人の全くの自由意思で弾いたものだという。「とにかく日本語の歌なんてやる気なかったから、半分ヤケになって好きなように弾いたんだよね」という彼の言葉どおり、やりたくもない曲を演奏せざるを得ない鬱積したフラストレーションを一気にブチまけたのが「銀色のグラス」での演奏と言えるだろう。
B面の「ドゥ・ユー・ノウ・アイ・ラヴ・ユー」は一転してポップな英語詞作品で、メンバーのケネス伊東(作詞)とエディ藩(作曲)が書いたオリジナル。67年デビュー組のGSはほとんどが外部作家にシングル楽曲を提供してもらっていたが、カップスはA面こそ外部作家作品に譲るものの、本曲以降は時おりB面でメンバーのオリジナル曲を披露し、翌68年12月5日にリリースした5枚目のシングル「過ぎ去りし恋」c/w「午前3時のハプニング」は初のメンバーのオリジナル楽曲カップリングとなっている。
このように僅かながらカップスの本音ともいうべき部分を初めて覗かせたシングル「銀色のグラス」だったが、残念ながらオリコン100位止まり。彼らが大ブレイクを果たすには、5カ月後にリリースされる「長い髪の少女」を待たなければならなかった。しかし、「銀色のグラス」での怒涛のプレイは、その後10年以上の歳月を経て、ネオGSと呼ばれる60年代GS再評価ムーヴメントの中で、多くの若いミュージシャンや和ものDJたちを虜にし、やがては海外のGSマニアからも高い評価を得るまでに至るのである。
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